先日、娘が
「お父さん、見て見て! 実験!」
と言って、水の入ったプラスチックボトルを持ってきました。
よく見ると、直径1センチくらいの気泡があり、何か黒い点が。
「これだけの空気で、アリがどれだけ生きられるか、実験!」
なるほど、気泡の中にアリが浮いています。
「かわいそうだから出してやれ」と言いかけたところで、言葉が止まってしまいました。
■都合に合わせて基準が変わる…
つい数日前、家に入ってくるアリを退治するためにホウ酸砂糖を設置しました。効果てきめんで、庭には大量のアリの死骸が。子供と「すごい効果だなー」と感心したところでした。殺虫剤で大量にアリを殺しておいて、実験はダメという説明が難しい。
無駄に殺さない、というのが私の信条ではありますが、空気の重要性を調べたいという実験も、意味が無いとは言えません。結局、
「アリに、きちんと感謝するように」
という、ななめ上の返事をするしかありませんでした。
■学びの機会と、生き物の生命
生き物の命をどう教えるか、という問題は難しいです。
例えば、子供がカメや金魚を飼う時。きちんと世話をしないと死んでしまうので、責任感を学ぶ良いチャンスです。
子供は結果を予測するのが苦手です。世話しないと死ぬよ、と言っても、実際に死ぬのを見るまではその重大性がわかりません。
本当の意味で責任を学ばせるには、世話を怠って、生き物が死ぬことが必要です(先日書いた日記と同じですね)。そうしてこそ、はじめて責任を負うことの意味がわかります。生き物には、教育のために死んでもらうことになります。
しかし、死ぬとわかっていて、黙って見ているのは、なかなかできないこと。こちらも情がうつるので、つい口出しして、世話をさせてしまいます。恥ずかしながら、まだ子供が世話をしないために死んだ生き物はいません…。
この問題は、迷いながらやっていくしかないのかもしれません。
■さて、結果は
実験のアリですが、24時間たってもまだ生きていました。思った以上に、少ない酸素で生きられるようです。その後、中の空気を完全に抜くと、すぐに動かなくなったとのことでした。
娘、もう一つ発見。
「お父さん、アリって、死ぬと沈むよ!」
これも、科学する心の現れということで…。
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