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2015年1月28日水曜日

日本語で勉強できるありがたさ

 前回、英語の話をしたので、ついでにまた外国語の話。
 日本に住んでいると、自分の国の言葉で勉強するのが当たり前だと感じますが、これはかなり恵まれた話です。

■外国語で勉強する国がある

 アフリカ・アジアの旧植民地では、今でも英語やフランス語でしか勉強できない国が残っているそうです。別に自国語を禁止されているのではありません。彼らの言語には、学術用語がないのです。

 言葉は必要に応じて発達します。
 そのため、学問の歴史を持たない言語には、「魚」とか「歩く」という日常の単語はあっても、「重力加速度」だの「免疫機能」だのという学問用語が存在しません。
 学問をしたければ、学術用語を持つ言葉を学ぶしかないのです。

 そうした国では、時間と金をかけて外国語を学ばなければ、学問に触れることが出来ません。
 経済力の無いものは勉強できないので、貧富の差は固定されます。国全体としても、学ぶ人間の数が限られるので、人材が増えません。国の貧しさも固定されるのです。

■全力で学術用語を作った、明治維新の日本

 明治維新のころ、外国に比べて圧倒的に不足している知識を補うには、2つの方法がありました。外国語を学び、外国語のまま学ぶ方法。もう一つは学問を日本語に翻訳し、日本語として学ぶ方法です。日本人が採用したのは後者。

 意味さえわかれば熟語にできる「漢字」と、音をそのまま表記する「かな」を持っていたことは大きな強みでした。それまで存在すらしなかった学術用語も、熟語やカナ表記で取り入れれば、日本語で学べるようになります。
 我々が当たり前のように使っている「神経」「政治」「権利」などの言葉も、幕末から明治に作られた翻訳語。

 このように学問の用語や概念が自国語になると、誰でも学問を始められるようになります。明治以後、日本が急速に発展した背景には、自国語で学べる状況があったのです。

 余談ですが、当時の日本の翻訳は、手当たり次第といっていいものでした。物理や工学などの先端科学だけではなく、哲学や文学まで、分野を問わず全力で翻訳したのです。翻訳した言語も、英語からフランス語、ドイツ語まで多岐にわたっていました。
 明治時代の日本には、アジアを中心とした海外から留学生がたくさん来たそうです。理由は「日本語だけわかれば、世界中の文献が読めるから」。

■これから必要なのは?

 以前にも書いたとおり、現在の世界共通語は英語。それ以外の言語で学ぶ国は、大なり小なり不利になります。ただ、自動翻訳がすすめば、状況は変わります。

 先日、NHKスペシャルで未来予想の番組を放送していました。それによれば、この数十年でコンピュータの性能は10億倍になり、大きさは10億分の1になったとのこと。そして、この進歩はまだ当分止まる可能性はありません。

 自動翻訳も、ますます進むでしょう。これから先、必要なのはどんな学力なのか?
 次回に続きます。

2015年1月18日日曜日

子供の運動神経を良くする、ストレス管理

 子供の運動神経を良くする方法。体幹トレーニングとか、巧緻性のトレーニングとか、専門家によるものがいろいろ出ていますね。
 身近なところでも、子供の運動能力に影響するものがあります。

■ストレスが筋肉を固くする

 私は鍼灸マッサージ師なので、腰痛の治療をすることも多いです。
 腰痛の原因の一つが、ストレスだということをご存知でしょうか。精神的な緊張が、筋肉を固くして、痛みを発生させるのです。

 私達の先祖は、弱肉強食の世界で生きていました。猛獣に襲われた時には、生き残るために戦うか逃げるかしなくてはなりません。
 危険な状況で、身体は筋肉を緊張させ、血管を細く引き締めて(ケガをしても出血が少ないように)立ち向かう準備をします。

 昔だと、危機から逃れたところで緊張状態は終わり、元通りの状態にもどりました。
 ところが現代人のストレスは、簡単には終わりません。ストレス状態が長く続くので、筋肉は緊張し、血管は細くなったまま。身体が固くなって、十分に動くことができなくなるわけです。
 
■シゴキで強くなるのか?

 「スポーツでいう、シゴキもストレスだよね? シゴキで強くなる選手がいるじゃないか」
 という疑問が浮かぶでしょう。シゴキで強くなるというのは、半分は本当で半分は間違っています。

 運動の能力は、ある程度までは練習量で決まりますから、シゴいて強制的に運動させれば、能力は上がって当然。
 その一方、長期的に続くストレスは筋肉を緊張させるので、身体を固くします。

 長期的に見れば、シゴキは選手の身体を固くし、動きを悪くするだけでなく、故障も増やします。ある高校の野球部を診たことがあります。根性をモットーに、選手をシゴくコーチが監督をしていましたが、二十数人いた選手が一人残らずどこかを故障させていました。もちろん試合成績も伸びないまま。

■運動神経を良くする叱り方

子供が習い事をしているときには、指導者の人柄が、子供にどんな影響を与えているか、見ることも必要でしょう。

 上手な叱り方をする指導者は、叱る時も、短時間で叱って蒸し返しません。「ここからはリラックスして大丈夫」 という区切りが分かると、緊張をとくことができるのです。
 逆に、いつまでも叱り続けたり、急に怒鳴ったりして、四六時中プレッシャーをかけているような指導者は要注意です。

 身体の固さは、スポーツのみならず、子供の状態をよく表します。
 子供を見ていて「いつもより固いな」と感じるときには、何かストレスがあるかも、と考えると助けになれるかもしれません。

2015年1月15日木曜日

子供を叱りすぎると、嘘つきになる

 子供は、4,5歳ごろから嘘を付くことを覚えるそうです。その頃には、論理的な思考が芽生え、他人がどう考えるかを感じ取るようになるからだと言われています。知能や社会性発達の表れでもあるんですね。

 とはいえ、社会に生きる人間としては、子供に正直であることを教えなければなりません。

■叱りすぎると嘘つきになる

 子供が嘘をつくのは、自分を守るためだと言われています。例えば何か、親に叱られることをした時、叱られないために嘘をつきます。
ということは、自分を守らなければならない状況が増えるほど、嘘をつく必要も増えるということ。 子育てに叱ることは不可欠ですが、叱りすぎると、嘘つきになる可能性が高いのです。

 何か失敗した時。親に正直に話して、めちゃくちゃに叱られるとしたらどうでしょう。子供にはまだ、信用の重要性はわかりませんから、
「本当のことを話したって、何もいいことがないじゃないか」
 と、本当のことを言わなくなってしまいます。

 子供が「このくらいは叱られても仕方ない」と納得できる程度の叱られ方であれば、本当のことを言いやすくなります。その基準は難しい物がありますが…(ウチでは、マンガやゲームで約束を破った時には「数日間の使用停止」というペナルティをよく使います。これはわりと納得できるようです)。

■私と娘の嘘

 今から考えれば恥ずかしい話ですが、私の子供時代は、かなりの嘘つきでした。
 親はかなり厳しく叱る方で(今だったら何回か通報されているかもというレベル)、小さい頃から嘘をつくのが当たり前に。

 自分の子供を育てるにあたっては、なるべく叱り過ぎないよう、親業の「わたしメッセージ」なども使いながら、気をつけました。そのかいあってか、嘘をつく回数はあまり多くないようです。

 先日、子供が先生に提出したノートを見ました。学校行事のことを報告した内容だったのですが、その内容。
「○○のとき、みんな騒いでいた(わたしも)
「玄関に、みんな靴を脱ぎ散らかしてあった(わたしも)

 悪い行動のところに、いちいち、(わたしも)と付け加えています。
 正直は正直だけど、褒めにくい正直さ…。

2015年1月10日土曜日

体罰の害が、愛情で変わる?

 今でも時々、体罰は有効かどうかという議論が出ることがあります。

 すでに統計調査では結論が出ていて、体罰を受けた人について「攻撃性が高くなる、犯罪に関わる可能性が高い、精神疾患を発症しやすい」などの関連性が証明されています。
 いわば、人生を踏み外す確率が上がるわけで、体罰は「百害あって一利あり(すぐに従わせることができるだけ)」といえます。

■受ける側の感じ方が問題?

 ただ、体罰に関しては、他に面白い調査があります。
 アメリカの調査で、体罰を受けた子供がどのくらい非行に走るかという調査がありました。白人の子供では、体罰を受けた子供は高い確率で非行に走りました。一方、黒人の子供ではそれほど大きな差は出なかったのです。

 研究者たちはその原因を「アメリカの黒人社会では「体罰は普通の指導」という認識があったので、子供たちは暴力と感じなかった。そのため、非行に走る率がそれほど上がらなかったのではないか」と解釈しています
 つまり体罰の害は、受ける側(子供)が、その体罰に愛情なり教育的意図を感じているかどうかで変わる、ということです。

 ただし、暴力的傾向や、精神疾患を発生する率については、記載はありませんでした。恐怖感や痛みのストレスが脳細胞に与える悪影響を考えると、社会的認識があっても悪影響を与えるのではないか、と私は考えます。(「子供時代の環境が一生を左右する」という調査 参照)。

■体罰を使うくらいなら

 体罰に愛情を感じない子供は、単なる暴力と感じます。
 痛みを恐れて言うことを聞くだけなので、見ている前では言うことを聞いても、親・指導者のいないところではルールを守りません。不当な扱いを受けたと恨みを抱くことで反抗的になり、指導をわざと無視することもあるでしょう。

 体罰を使うなら、愛情をしっかり伝えるだけの説明と、信頼関係を築く手間を惜しまない努力が必要ということになりそうです。

 実際のところ、それだけの手間を掛けるくらいなら、体罰を使わないほうが楽。そんな愛情と信頼関係があれば、体罰がなくても言うことを聞かせられるでしょう。
 仮にペナルティを与える場合でも、行動の制限なり、楽しみを我慢させるなり、体罰以外の方法はいくらでもありますし…。

2015年1月6日火曜日

子供を伸ばしたいなら「伸びる」と信じること

 昔話に、見越し入道という妖怪の話があります。
 山道などで、道を塞ぐように現れる巨大な妖怪だそうです。旅人がその巨大さに姿を見上げると、ますます大きくなります。

 ところが旅人が、見越し入道の足の方を見ると、どんどん小さくなっていくそうです。見えないほど小さくなったところで、
「見越し入道、見越した!」
 と声をかけると消えてしまうとのこと。

 見る人の見方によって、大きさが変わってしまう妖怪です。

■外から決めたとおりになる、レイベリング理論

 以前にも書きましたが、心理学の有名な実験があります。

 学校の先生に、担任する子供たち数人について、
「最先端の心理テストで、彼らには高い潜在能力があることがわかった」
 と伝えます。
 名前の挙がった子供たちの中には、さほど成績の良くない子供も混じっていましたが、数ヶ月後には全員が優秀な成績を修めるようになりました。

 この実験。実は、教師の評価がどのように子供の成績に影響するかを調べるための実験でした。名前の挙がった子供たちがテストで選ばれたというのはウソで、本当はランダムに選ばれただけだったのです。
 教師が「この子には能力がある」と思い込んだことによって、子供たちはより高い成績を発揮しました。

 外から貼り付けられただけの評価が、中身を変えてしまう。そのように、評価によって本質が変わってしまうことを、瓶に貼り付けられたラベルに例えて「レイベリング理論」と言います。

■なぜ、外からの評価で能力が変わる?

 この実験の結果は、次のように解釈されています。

 先生が教えることを、生徒が理解できなかった場合。
 もし先生が「この子はできない子だ」と思っていたら、「わからなくて当然」ということで、流してしまうでしょう。
 しかし先生は「この子には高い潜在能力がある」と聞いているので、
「わからないということは、教え方に問題があるのかも」
 と考えます。その結果、より熱心に工夫して教えるので、生徒は実際に理解し、成績を伸ばすのです。

 生徒が教師の熱意にのせられる部分もあるでしょう。「ダメなやつ」と考える教師よりも、「できるはずだ」と信じてくれる教師の言葉を聞きたくなるはずですから。

■信じるコツ

 見越し入道と同じで、見上げるほど大きくなり、見下げると小さくなるのが子供。そして、一番子供を見ているのは親。

 といって、実際に子供ができない時に「この子は優秀」と信じるのは難しいですね。自分に対してウソをつくことになります。そこで、「優秀」と信じるのは難しいとしても、
「何かの条件で、本当の力が出せていないのでは?」
 と考えることができれば、先ほどの教師たちと同じように、子供を伸ばしてやれるかもしれません。

 ちなみにレイベリング理論に従えば、子供に
「かわいいなあ~」
 と言ってると、可愛くなるはず。ウチがそうです。可愛いです。

 こんな私を、妻は「バカ親!」と言います。

2015年1月1日木曜日

お年玉、どうしてますか?

 皆様、あけましておめでとうございます。
 今年も、読んでくださる方がいらっしゃると嬉しいです。

 さて、皆様。子供のお正月といえば、お年玉ですね。

 大きすぎる金額を渡して、すぐに無駄遣いされるのは、腹が立ちますよね。といって貯金させても、子供のころの貯金なんて、大人にとっては日常の金額になってしまいます。実質価値が下がってしまうわけで、それもかわいそうに感じます。
 この辺りは、各家庭の価値観が出るところ。

■大人の買いたくないものを買うお金に

 我家の場合は、訓練として自分で管理させます。全額渡して、貯金は原則としてさせません。

 前準備として、三歳の頃から毎週お小遣いを渡していました。その頃の金額は、一日あたり10円。それを貯めて、欲しいものを買うようにと言っていました。この方式、親にとっても便利です。
 子供が欲しがるものの中には、親が買いたくないものもありますよね。すぐ壊れそうな玩具とか、キャラクターの絵がついた風船とか。子供に
「買って!」
 と言われた時、一瞬迷います。

 しかし、小遣いを渡していると、
「お父さんは、それは買いたくない。自分の小遣いで買いなさい」
 の一言で終わり。子供は、欲しいと思えば買いますし、それほどでもないと思えば買いません。欲しくても所持金が足りない時には、
「貯めてから買いなさい」
 と言えばすみます。

 子供にとっては、それが本当に必要かどうかを考える訓練になりますし、我慢の訓練にもなります。

■お年玉を全額渡した結果

 さて、お年玉。
 幼稚園の時、初めてお年玉を全額渡しました。といっても、親戚協定で、一人あたり千円までと決めていたので、一万円はありませんでしたが。

 初回は、やはり舞い上がりましたね。初詣の屋台で風船を買い(ヘリウムが入っていて、浮かぶもの)、ハッカパイプを買い、金魚すくいを何度もやりました。
 その後も、欲しいものを見ては自分の所持金と比べて
「あれ、買えるね」
 と嬉しそうに言い、場合によっては買っていました。あまりに大きな金額の買い物をしようとするときには、
「一週間待ってから買いなさい」
 という指導はしましたが、基本的には自主性に任せて。

 結局、お年玉は夏頃には全部なくなって、そこからはまた一日10円のお小遣いで賄うようになりました。その経験は、本人にとっては貴重なものだったようです。次の年からは、12月まで、お年玉を使いきらずに残すようになりましたから。

 なんでも、失敗しないと覚えないというのなら、お金も一度は使いきって後悔しないと覚えないのでしょう。我が家程度の家庭では、実際に使わせて訓練するのも、ひとつの方法だと思います。

 もっとお金持ちの家では…。それはまあ、別のやり方があるのでしょう。私も使いきって訓練したいものです(笑)。