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2015年9月27日日曜日

褒めて伸ばすには、コツがある①

 子供が、宿題や課題をほっぽり出して、ダラダラしているとき。
 つい「さっさとやりなさい!」と大声で叱ってしまいたくなります。言われて、イヤイヤながら机に向かっている背中に「そんなことでは…」とお説教を続けたり。
 もしかしたら、そうした叱り方は、逆効果かもしれません。

 それを教えてくれるのが、この本。
マンガでわかる 魔法のほめ方 PT: 叱らずに子どもを変える最強メソッド (単行本)

 PTは、ペアレントトレーニングの略。ほめることによって子供を伸ばそう、という本です。

「ほめて伸ばすなんて、今まででも言われてきたことでしょ?」
 と言いたくなるのですが、このPTの褒め方はいわゆる「ほめて伸ばす」方式とは根本から違います。

 普通の「ほめて伸ばす」は、ほめて子供の自尊心を高め、やる気を出させることを目的にしています。
 しかしPTではほめること(関わること)を「子供に与える利益」と考えます。子供の行動を観察し、子供が少しでも望ましい行動をしたら、すかさずほめます。良い行動には、利益。それが結びつくことで、目的の行動が増えると考えるのです。


 私が最初にPTの本を読んだのは、もうかなり前のことでした。当時、この方法がなかなかピンとこなかったんですね。
「そんな風に、餌で釣るような方法が、いいのだろうか? 利益のないときに行動しなくなったりしないだろうか?」
 という疑問を持っていました。
 今にして思えばそれは褒めることを「利益で釣って、命令に従わせる」方法だと考えていたからでした。それが変わったのは、PTの元ネタと考えられる本を読んでからです。

うまくやるための強化の原理―飼いネコから配偶者まで

 調教を専門としている人の研究所です。罰に頼ることの不合理、良い行動を「強化」することで教える合理性が、理論建てて説明され、納得させられます。

 イルカにジャンプを教えるときには、イルカを観察します。そして、偶然ジャンプをした時に餌を与えるそうです。それを繰り返すと、イルカはジャンプと餌を結びつけ、餌のために飛ぶことを覚えます。
 次には、繰り返されるジャンプの中から、少し高く飛んだ時にだけ餌を与えます。これを繰り返すと、イルカは高く飛ぶことを覚えます。
 こうして、良い行動と、嬉しいという感情を結び付けることで、より望ましい行動へと誘導してゆく方法です。

 罰という方法を用いないのは、それが「教える」ことには向いていないからです。
 何かを教えているときに罰を与えられると、その行動と罰が、頭のなかで結びついて「教えられる行動=嫌なこと」と感じるようになります。
 結果として、望ましい行動からますます遠ざけるという逆効果です。

 こうした研究成果から、子供向けの内容を取り出したのがPTだと言えます。

ある意味ではドライすぎる方法ですが、実際に読んでいると納得することばかりなんですよね。全体として、子供に不快なことがあるわけでもなく、それで役に立つならいいんじゃないかという気がします。

 ただ、この本の内容を実際に使うには、発送の転換を含めて何段階かの準備が必要です。
 次回は、その準備の話を。

2015年6月28日日曜日

子供を伸ばす、暗示の力

 先日、テレビを見ていたら、メンタリストのdaigo氏と、元ライブドアの堀江貴文氏がババ抜きをするという企画がありました。

■メンタリスト、圧勝

 持っているカードはそれぞれ5枚ずつ。それにジョーカーを加えて、ババ抜きをする。もちろん、最後にジョーカーを持っていた方が負けです。さてその勝負ですが…

 …勝負になりませんでした。

 堀江氏も交渉慣れしているということで連れて来られたのですが、まるで歯が立ちません。
 daigo氏の持っているジョーカーを、一回目で引かされる。
 堀江氏がジョーカーを持つと、入れた瞬間から位置を特定され、それならばとシャッフルしても、すぐに言い当てられてしまう。
 まるで勝負になりませんでした。

■小さな暗示の大きな力

 見ているうちに気になったのは、番組中でdaigo氏が使っている暗示が、驚くほどささやかだったこと。

 例えば、堀江氏がカードを引くとき、daigo氏はカードを等間隔に並べず、ジョーカーの両側だけ隙間を数ミリ広くしました。言われなければ気づかない程度の差ですが、それだけでジョーカーが目に止まりやすくなるのだそうです。実際、堀江氏は簡単にそれを引いてしまいました。

 続けてdaigo氏がカードを引く時には、ジョーカーが列の真ん中にあることをあっさりと見抜き、ジョーカー以外のカードを引きました。そして言うには
「両端、両端と繰り返し言うことで、両端に恐怖心を持つように誘導しました」

 ほんの数分の暗示の結果がこれです。そう考えると、長い時間一緒にいる家族からの影響は無視できません。

■親の言葉は、全て暗示になる

 子供に「バカ」と言い続けると本当に成績が落ちる、「レイベリング理論」はよく知られていますね。

 「自分はバカだ」という自己イメージを持つと、努力で能力が伸ばせると思えなくなり、努力が続かないと考えられています。
 問題点を指摘する際には「評価」ではなく「具体的な方法の提示」が必要。例えば「計算問題の練習が必要だね」のような。

 あと、気をつけたほうがいいのは、「は」の使い方。
 例えば「算数良く出来たね」は、言外に「算数以外はダメ」という意味を含みます。ここは「算数よく出来たね」と言いたいところ。
「昔可愛かった」というのは、「今は可愛くない」という意味を含みますから、これも注意。

 逆に「この問題失敗したけど、頑張ったね」と、悪い方を限定し、他の部分を認める使い方もできます。

 ちなみに、うちでは「は」の代わりに「から」を使います。
「昔から可愛かった!」

 親ばか?
 いいんです。娘を持つ父親なんて、みんなこんなもんです。


イラストは、子供と動物のイラスト屋さん から

2015年6月3日水曜日

保育園を作るほど、少子化が進むかもしれない

 政府は、待機児童を減らすために、保育園をさらに拡充するとのこと。少子化対策の一環だそうです。
 働きたい女性が社会に出て、心置きなく働ける。その意味では歓迎すべきことです。しかし、それは少子化対策につながるのでしょうか?

 もちろん、子供の預け先ができることで、働ける女性もいるわけです。経済的な余裕があれば、子供をもう一人産もうかと考える人が増えてもいいのですが…。

■家事の価値は?

 そう考えたのは日経ビジネスオンラインの記事「リストラ・ひも・ウツ 育児に協力するオトコの世間体」という記事を読んだ時です。

 イクメンという言葉が一般的になった現在でも、男が仕事をやめて育児に専念すると「リストラにあった?」とか「ヒモ?」などと言われてしまう現状。
 「無能な人は家庭に入れ」という人もいるそうです。

 家事はお金にならないので、評価されない。金銭を重視しすぎて、育児を含めた家事をする人が、軽んじられているのではないか、という内容でした。

 経済的価値を高く見て、家事を低く見る価値観。
 この価値観の極まるところは「最初から子供を持たない方が得だよね」という考えではないでしょうか?

■子育ては楽しいんだ、価値があるんだ、ともっと語ろう

 評価されない仕事に就きたがる人はいません。

 保育園で子供を預けて働く人が増え、それが当然になった時。
 子育てする人が「働いてないの? なにやってるの」とか、「専業主婦で子育て? 楽だねえ」などと、言われるようになってしまったら、一所懸命子育てをする人は減ってしまうでしょう。

 子供を育てることを含めた家事の意味をきちんと評価しない社会は、結局は子育てする人を失ってしまうのではないでしょうか?

 働く人のために、保育園は大事。その一方で、自分で子育てをしたい人が、存分に子育てできる価値観も作っていかなくてはなりません(もちろん、経済も大事。フランスの出生率を上げたのは、結局のところ育児補助金ですから)。

 本当のところ、子育てをきちんとやろうと思えば、たくさんの勉強が必要です。迷ったり考えたりもするし、試したり失敗したりします。子供に関わる自分自身のケアも必要で、決して簡単ではありません。そういったことの価値を認めることも、少子化対策には必要なはず。
 ワークシェアリングなどで、男女ともきちんと育児に関われる、それでいて、育児が出世の妨げにならないような社会になればいいのですが。

 自宅自営業で、子育てに関わってきた父親としては、子育ての楽しさと、やりがいをもっと語ってみたいのです。

イラストは、子供と動物のイラスト屋さん から

2015年5月13日水曜日

小学生、中学生に読ませたい「まんがでわかるD・カーネギー」

 先日から何度か、対人スキルに関する話を書いていました。人間が社会動物である以上、生きていく上で絶対に欠かせない技術です。もちろん、そうした技術は生活の中で親から伝えられるのが良いわけですが、子供が自分で学べるような教材はないものか…。

 と思っていたら、出ました! 世界中で何十年も読み継がれる名著「人を動かす」「道は開ける」を元にしたマンガです。

まんがでわかる D・カーネギーの「人を動かす」「道は開ける」 (まんがでわかるシリーズ)
 「人を動かす」は、人と良い関係を築く方法をまとめた本。
 今回のマンガでは、その中でも重要な原則「重要性を感じさせる」に焦点を絞って、解説を行っています。
 「重要性」といっても、おだてたりゴマを摺ったりするのではなく、相手を人間として尊重することです。名前を覚える、話をよく聞くなどの基本から、相手の顔を潰さずに説得する方法などを解説。

 「道は開ける」は、悩んだり、苦境に陥った時の、対処の方法を書いた本です。
 最悪の事態を最初に想定することで覚悟を決めたり、できることを書き出して、思考を整理したり。ただ悩むのではない対処の方法を教えてくれます。

 この二冊を一つのストーリーに取り込み、よくまとめています。
 学校では教えてくれない人生の知恵に、子供のうちから触れられることは、子供の生きる力を育ててくれるはず。
 もちろん、もともと大人向けのマンガなので、大人にも。

 マンガ好きの娘に読ませました。

 数日後、折り紙をしていた娘が、折り鶴を持ってきました。角のところが少し潰れています。
「紙が破れるっていう最悪を考えたら、ズレても平気だった!」
 うん、本当に理解するには、もう少し時間がかかるのかも…。


2015年4月19日日曜日

モンテッソーリ教育は、放任主義ではない

 モンテッソーリ教育は、子供の自主性を尊重します。それは、敏感期という自然からの贈り物を活かすため。子供の内側から湧き上がる意欲が、何よりも子供を育てると考えるからです。

 と言って、モンテッソーリ教育は子供を放っておくだけの「放任主義」とは違います。

■放任主義で、子供は学ぶのか?

 「教えなくても、必要なことは子供自身の経験から学べる」というのが、放任主義の考え方。確かに経験は、学びにとって重要です。
 ただ「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があるように、経験からだけ学ぶのは、至難の業です。

 たとえ話として適切かどうか、わかりませんが…。
 歴史を見ると、旧石器(打製)時代は数万年続きました。磨製石器の技術が広がるのに、数万年も必要だったのです。当時の人類集団に交流が少なく、自分や周囲の人の経験からだけ学んでいたからだと考えられます。

 その後、交流が盛んになり、他人の経験から学べるようになると、文明は一気に進歩を始めます。文書という記録の方法ができるとさらに加速し、インターネットができた現在では、ついていくのが難しいほどの発展を続けています。

 というのは、寄り道なので本題に戻って…。

■モンテッソーリ教育の方法論

 子供を育てるのは環境、というのがモンテッソーリ教育の主張です。
 子供に教えるのではなく、子供の発達を見ながら、必要な環境を整えることで、子供の学びに方向性をつけてやるのです。

 また、モンテッソーリ教育の教具にも仕掛けがあります。
 有名な「差し込み円柱」や「ピンクタワー」は、段階的に大きさが変わるようにできています。もし、順番を間違えると、円柱が穴に入らなかったり、タワーの形が歪になったりして、間違っていることがわかるようになっています。
 つまり、子ども自身が間違いに気づき修正できる環境があるから、子供自身で学ぶことができるのです。

■親の背中を見て育つ

 モンテッソーリ教育の「環境」の思想は、一昔前の「子供は親の背中を見て育つ」とか、「孟母三遷」の言葉を思い出させます。

 確かに、環境の影響力は無視できないもので、現在の調査でも
「本を読む親の子供は、本を読む」
「殴られて育った子供は、暴力事件を起こす確率が高い」
 など、環境が子供に及ぼす影響が確認されています。

 我が家?
 実は、両親とも片付けが苦手です。今のところ、子供も片付けは苦手。
 環境の力って、すごいですね~(笑)

2015年4月2日木曜日

過ぎてしまえば、全部楽しい

 つい先日、生まれたばかりだと思っていた子供が、もうすぐ9歳になります。本当に子供の育つのは早いものです。

■なかなか生まれなかったこと

 もともと、非常に遅くなってからの子供でした。それまでに、理由らしい理由もないまま4回の流産を繰り返していたからです。

 5回めの妊娠も、喜ぶより先に
「今喜んでもまた流産して、ぬか喜びになるかも」
 と、警戒したくらい。
 一安心したのは、五ヶ月を過ぎてからです。エコーで動いている映像を見て、ようやく喜ぶ気持ちになりました。

 神経を使いながらの数ヶ月を過ごして、臨月。
 生まれるときも、一筋縄ではいきませんでした。まず、二週間遅れの過期産。ようやくやってきた陣痛は微弱陣痛で、いっこうに進まず。生まれたのはなんと入院から72時間後でした!

 私は出産に立会いたかったので陣痛室に詰めていましたが、丸3日、そこから仕事に通うはめに。出産の喜びの後、二人ともぐったりしていたのを覚えています。

■夜泣きが長かったこと

 で、生まれた娘がよく泣く子でした。よく、新生児は二時間おきに泣くと言いますが、その二時間おきがずっと続きます。二ヶ月どころか、半年たっても、一年経っても、二時間ごとに起きて泣く娘。

 抱き上げて、妻なら授乳。私なら歌を歌っていると、静かになって眠ります。しかし、そこから寝かせるのが一苦労。ゆっくり降ろさないと、布団に触れた感触で目を覚まして泣くからです。
 いや、降ろすところまではまだマシですね。本当に難しいのは娘の身体の下から腕を抜くこと。何度も失敗を繰り返したあと、微速度での腕抜きをマスターしました。

 結局、5時間続けて眠れるようになったのは、4歳になってから。長い長い、睡眠不足の日々でした。
 
■それでも、楽しかったとしか言えない不思議

 それ以外には、五ヶ月近くなっても首が座らなくて「運動発達注意」と言われ、心配したことも。後に「頭が大きくて重かっただけのようです」という結論に達しましたが…。

 もちろん、子供につきものの発熱もあり、引きつけを起こして救急車に二回乗りました。

 いろいろ疲れることもあったわけですが、ここまで育てたことを思い出すと「楽しかった」としか言えないのが不思議です。

 妻と「眠れなかったよなあ」とか「引きつけを起こした時は、死ぬかと思ってオロオロした」とか言い合って、笑います。娘はそれを横で聞きながら、面白がっています。とくに、引きつけで狼狽した話がお気に入りで、何度も聞きたがったり。

 子育ては、面倒もたくさんあるわけですが、いつまでも続きはしません。気が付くと、そんな時期を通り越して、大きくなってしまいます。そして、過ぎてしまえば、楽しかった思い出が残るのが子育て。

 今、乳児期の子育てで大変な方もいらっしゃるでしょう。辛い時は「この辛さも、必ず良い思い出になる」と唱えて乗り切って下さい。辛いことだけ、いつまでも続きはしません。

 それと、男性に一言。子育てには、絶対参加したほうがいいです。面白いし、何よりも一生、奥さんとの話題に困りませんよ。

2015年3月22日日曜日

コミュニケーションの教科書

 前回書いた、対人スキルを練習するのに良い本がないかと探していたら、見つけました。
親子で育てる「じぶん表現力」―毎日家庭で着実にできるトレーニングブック です。

親子で育てる「じぶん表現力」―毎日家庭で着実にできるトレーニングブック
 この本の特徴は、日常の会話の中で、話したり考えをまとめたりという訓練をするコツを集めてあること。改まって「練習しよう!」というのではなく、親が普段の会話を少し意識することで、自然にコミュニケーションの技術が身につくように考えられています。

 例えば子供が、
「ママ、ジュース!」
 と言っても、ジュースを出してやりません。
「ジュースがどうしたの?」
 ととぼける方法を提唱しています。子供は
「ジュースが飲みたい」
 ということによって、正しい言葉使いがわかるようになるというものです。

また、
「塩とって」
 ではなく、
「悪いけど、塩とって」
 のように一言入れたり、人に言われたことを断るときにも、ただ断るのではなく
「ありがとう、でも今日は…」
 と感謝を挟む、クッション言葉の使い方も書かれています。こうした一言は簡単ですが、コミュニケーションでは意外と重要。

 一つ一つが簡単で、具体的。論理思考や決断、プレゼンテーションに関わる訓練も入っていて、能力開発にも役立ちそうです。
 読みながら使える便利な本ですね。

 ちょっと悔しいのは、この本を作成したのが、アメリカ帰りの親たちだということ。やはり日本は、コミュニケーションを技術として学ぶ方法では、海外に遅れているのかもしれません。

付記

高学年向けには、良い教育マンガがあります。
D・カーネギーの「人を動かす」をマンガにしたものです。詳しくは、小学生・中学生に読ませたい「まんがでわかるD・カーネギー」を。

2015年2月25日水曜日

子供が友達とトラブルを起こさないために

 小学生の男子が、気になる女の子に、わざと意地悪するのを見たことがありませんか? 話をしたい、関わりたいがゆえの行動ですが、もちろん報いられることはありません。
 対人スキルが不足している悲しさ…(笑)。

 多分、どんなに時代が変わっても必要なのは、人と関わる能力。人間が社会を作っている以上、この能力が要らなくなることはありません。

■対人スキルは、技術です

 日本人は一般的に話が下手、と言われます。以心伝心を良しとする文化もあるのでしょうが、「コミュニケーションは技術」と考える文化がないこともあるでしょう。

 多くの人は、自分が育ってきた過程で見てきた話し方や振る舞いを、そのまま用います。覚えた方法が、たまたま下手な方法だった子供は、大きなハンデをもって暮らすことになります。
 特に問題なのは、以前の記事で書いたように、騒いだり、意地悪をしたりして、かまってもらうという行動様式を覚えてしまっている場合。

 子供は、自分では自分の行動様式が間違っていることを気づくことができませんし、ましてや治すことはできません。親が気づいて、教えてやるしかありません。

■とはいっても、教材がない!

 対人スキルも技術である以上、学べば上達します。水泳を学べば泳げるように、スキルを学べば、コミュニケーション能力が上がるのです。

 とはいっても、子供用の教材は、びっくりするくらいありません。
 大人用には、人との接し方を教える教材が、たくさんあるのですが…。しいていえば、高学年向けには、次のような2つの本があります。
イラスト版 子どものアサーション・トレーニング: 自分の気持ちがきちんと言える38の話し方
イラスト版子どものソーシャルスキル―友だち関係に勇気と自信がつく42のメソッド
 ただ、子供が自分で読むという類のものではありません。親が読んで、一緒に考えてやるための本ですね。
 ソーシャルスキルが、今回書いたような良い関係を作る方法。アサーションは、人と折り合いをつけながら自分を大事にする主張をする方法の本です。

 低学年向けとしては、次の本。
マンガでわかる よのなかのルール (単行本)
 この本は、生活全般の注意事項などをマンガにまとめたもの。対人スキルについて書いてあるのは、ごく一部ですが、マンガとしてそれなりに読めるので、子供が自分で読める本としてはオススメできます。

■今は、親が頑張るしか無いのかも

 結局は、親が気をつける以上の方法はないかもしれません。
 子供の言葉や行為に対して、感じたことを話してやり、別の方法を教える。

 ただ「その言葉遣いはムカッとくる!」というのを、冷静に教えるのは難しいです。すでにムッときてるわけですしね。

 とはいえ、そこで怒鳴ってしまっては悪い手本になるだけ。
 こればっかりは、根気よく工夫してゆくしかありません。日々反省してます。

2015年1月28日水曜日

日本語で勉強できるありがたさ

 前回、英語の話をしたので、ついでにまた外国語の話。
 日本に住んでいると、自分の国の言葉で勉強するのが当たり前だと感じますが、これはかなり恵まれた話です。

■外国語で勉強する国がある

 アフリカ・アジアの旧植民地では、今でも英語やフランス語でしか勉強できない国が残っているそうです。別に自国語を禁止されているのではありません。彼らの言語には、学術用語がないのです。

 言葉は必要に応じて発達します。
 そのため、学問の歴史を持たない言語には、「魚」とか「歩く」という日常の単語はあっても、「重力加速度」だの「免疫機能」だのという学問用語が存在しません。
 学問をしたければ、学術用語を持つ言葉を学ぶしかないのです。

 そうした国では、時間と金をかけて外国語を学ばなければ、学問に触れることが出来ません。
 経済力の無いものは勉強できないので、貧富の差は固定されます。国全体としても、学ぶ人間の数が限られるので、人材が増えません。国の貧しさも固定されるのです。

■全力で学術用語を作った、明治維新の日本

 明治維新のころ、外国に比べて圧倒的に不足している知識を補うには、2つの方法がありました。外国語を学び、外国語のまま学ぶ方法。もう一つは学問を日本語に翻訳し、日本語として学ぶ方法です。日本人が採用したのは後者。

 意味さえわかれば熟語にできる「漢字」と、音をそのまま表記する「かな」を持っていたことは大きな強みでした。それまで存在すらしなかった学術用語も、熟語やカナ表記で取り入れれば、日本語で学べるようになります。
 我々が当たり前のように使っている「神経」「政治」「権利」などの言葉も、幕末から明治に作られた翻訳語。

 このように学問の用語や概念が自国語になると、誰でも学問を始められるようになります。明治以後、日本が急速に発展した背景には、自国語で学べる状況があったのです。

 余談ですが、当時の日本の翻訳は、手当たり次第といっていいものでした。物理や工学などの先端科学だけではなく、哲学や文学まで、分野を問わず全力で翻訳したのです。翻訳した言語も、英語からフランス語、ドイツ語まで多岐にわたっていました。
 明治時代の日本には、アジアを中心とした海外から留学生がたくさん来たそうです。理由は「日本語だけわかれば、世界中の文献が読めるから」。

■これから必要なのは?

 以前にも書いたとおり、現在の世界共通語は英語。それ以外の言語で学ぶ国は、大なり小なり不利になります。ただ、自動翻訳がすすめば、状況は変わります。

 先日、NHKスペシャルで未来予想の番組を放送していました。それによれば、この数十年でコンピュータの性能は10億倍になり、大きさは10億分の1になったとのこと。そして、この進歩はまだ当分止まる可能性はありません。

 自動翻訳も、ますます進むでしょう。これから先、必要なのはどんな学力なのか?
 次回に続きます。

2015年1月18日日曜日

子供の運動神経を良くする、ストレス管理

 子供の運動神経を良くする方法。体幹トレーニングとか、巧緻性のトレーニングとか、専門家によるものがいろいろ出ていますね。
 身近なところでも、子供の運動能力に影響するものがあります。

■ストレスが筋肉を固くする

 私は鍼灸マッサージ師なので、腰痛の治療をすることも多いです。
 腰痛の原因の一つが、ストレスだということをご存知でしょうか。精神的な緊張が、筋肉を固くして、痛みを発生させるのです。

 私達の先祖は、弱肉強食の世界で生きていました。猛獣に襲われた時には、生き残るために戦うか逃げるかしなくてはなりません。
 危険な状況で、身体は筋肉を緊張させ、血管を細く引き締めて(ケガをしても出血が少ないように)立ち向かう準備をします。

 昔だと、危機から逃れたところで緊張状態は終わり、元通りの状態にもどりました。
 ところが現代人のストレスは、簡単には終わりません。ストレス状態が長く続くので、筋肉は緊張し、血管は細くなったまま。身体が固くなって、十分に動くことができなくなるわけです。
 
■シゴキで強くなるのか?

 「スポーツでいう、シゴキもストレスだよね? シゴキで強くなる選手がいるじゃないか」
 という疑問が浮かぶでしょう。シゴキで強くなるというのは、半分は本当で半分は間違っています。

 運動の能力は、ある程度までは練習量で決まりますから、シゴいて強制的に運動させれば、能力は上がって当然。
 その一方、長期的に続くストレスは筋肉を緊張させるので、身体を固くします。

 長期的に見れば、シゴキは選手の身体を固くし、動きを悪くするだけでなく、故障も増やします。ある高校の野球部を診たことがあります。根性をモットーに、選手をシゴくコーチが監督をしていましたが、二十数人いた選手が一人残らずどこかを故障させていました。もちろん試合成績も伸びないまま。

■運動神経を良くする叱り方

子供が習い事をしているときには、指導者の人柄が、子供にどんな影響を与えているか、見ることも必要でしょう。

 上手な叱り方をする指導者は、叱る時も、短時間で叱って蒸し返しません。「ここからはリラックスして大丈夫」 という区切りが分かると、緊張をとくことができるのです。
 逆に、いつまでも叱り続けたり、急に怒鳴ったりして、四六時中プレッシャーをかけているような指導者は要注意です。

 身体の固さは、スポーツのみならず、子供の状態をよく表します。
 子供を見ていて「いつもより固いな」と感じるときには、何かストレスがあるかも、と考えると助けになれるかもしれません。

2015年1月15日木曜日

子供を叱りすぎると、嘘つきになる

 子供は、4,5歳ごろから嘘を付くことを覚えるそうです。その頃には、論理的な思考が芽生え、他人がどう考えるかを感じ取るようになるからだと言われています。知能や社会性発達の表れでもあるんですね。

 とはいえ、社会に生きる人間としては、子供に正直であることを教えなければなりません。

■叱りすぎると嘘つきになる

 子供が嘘をつくのは、自分を守るためだと言われています。例えば何か、親に叱られることをした時、叱られないために嘘をつきます。
ということは、自分を守らなければならない状況が増えるほど、嘘をつく必要も増えるということ。 子育てに叱ることは不可欠ですが、叱りすぎると、嘘つきになる可能性が高いのです。

 何か失敗した時。親に正直に話して、めちゃくちゃに叱られるとしたらどうでしょう。子供にはまだ、信用の重要性はわかりませんから、
「本当のことを話したって、何もいいことがないじゃないか」
 と、本当のことを言わなくなってしまいます。

 子供が「このくらいは叱られても仕方ない」と納得できる程度の叱られ方であれば、本当のことを言いやすくなります。その基準は難しい物がありますが…(ウチでは、マンガやゲームで約束を破った時には「数日間の使用停止」というペナルティをよく使います。これはわりと納得できるようです)。

■私と娘の嘘

 今から考えれば恥ずかしい話ですが、私の子供時代は、かなりの嘘つきでした。
 親はかなり厳しく叱る方で(今だったら何回か通報されているかもというレベル)、小さい頃から嘘をつくのが当たり前に。

 自分の子供を育てるにあたっては、なるべく叱り過ぎないよう、親業の「わたしメッセージ」なども使いながら、気をつけました。そのかいあってか、嘘をつく回数はあまり多くないようです。

 先日、子供が先生に提出したノートを見ました。学校行事のことを報告した内容だったのですが、その内容。
「○○のとき、みんな騒いでいた(わたしも)
「玄関に、みんな靴を脱ぎ散らかしてあった(わたしも)

 悪い行動のところに、いちいち、(わたしも)と付け加えています。
 正直は正直だけど、褒めにくい正直さ…。

2015年1月10日土曜日

体罰の害が、愛情で変わる?

 今でも時々、体罰は有効かどうかという議論が出ることがあります。

 すでに統計調査では結論が出ていて、体罰を受けた人について「攻撃性が高くなる、犯罪に関わる可能性が高い、精神疾患を発症しやすい」などの関連性が証明されています。
 いわば、人生を踏み外す確率が上がるわけで、体罰は「百害あって一利あり(すぐに従わせることができるだけ)」といえます。

■受ける側の感じ方が問題?

 ただ、体罰に関しては、他に面白い調査があります。
 アメリカの調査で、体罰を受けた子供がどのくらい非行に走るかという調査がありました。白人の子供では、体罰を受けた子供は高い確率で非行に走りました。一方、黒人の子供ではそれほど大きな差は出なかったのです。

 研究者たちはその原因を「アメリカの黒人社会では「体罰は普通の指導」という認識があったので、子供たちは暴力と感じなかった。そのため、非行に走る率がそれほど上がらなかったのではないか」と解釈しています
 つまり体罰の害は、受ける側(子供)が、その体罰に愛情なり教育的意図を感じているかどうかで変わる、ということです。

 ただし、暴力的傾向や、精神疾患を発生する率については、記載はありませんでした。恐怖感や痛みのストレスが脳細胞に与える悪影響を考えると、社会的認識があっても悪影響を与えるのではないか、と私は考えます。(「子供時代の環境が一生を左右する」という調査 参照)。

■体罰を使うくらいなら

 体罰に愛情を感じない子供は、単なる暴力と感じます。
 痛みを恐れて言うことを聞くだけなので、見ている前では言うことを聞いても、親・指導者のいないところではルールを守りません。不当な扱いを受けたと恨みを抱くことで反抗的になり、指導をわざと無視することもあるでしょう。

 体罰を使うなら、愛情をしっかり伝えるだけの説明と、信頼関係を築く手間を惜しまない努力が必要ということになりそうです。

 実際のところ、それだけの手間を掛けるくらいなら、体罰を使わないほうが楽。そんな愛情と信頼関係があれば、体罰がなくても言うことを聞かせられるでしょう。
 仮にペナルティを与える場合でも、行動の制限なり、楽しみを我慢させるなり、体罰以外の方法はいくらでもありますし…。

2015年1月6日火曜日

子供を伸ばしたいなら「伸びる」と信じること

 昔話に、見越し入道という妖怪の話があります。
 山道などで、道を塞ぐように現れる巨大な妖怪だそうです。旅人がその巨大さに姿を見上げると、ますます大きくなります。

 ところが旅人が、見越し入道の足の方を見ると、どんどん小さくなっていくそうです。見えないほど小さくなったところで、
「見越し入道、見越した!」
 と声をかけると消えてしまうとのこと。

 見る人の見方によって、大きさが変わってしまう妖怪です。

■外から決めたとおりになる、レイベリング理論

 以前にも書きましたが、心理学の有名な実験があります。

 学校の先生に、担任する子供たち数人について、
「最先端の心理テストで、彼らには高い潜在能力があることがわかった」
 と伝えます。
 名前の挙がった子供たちの中には、さほど成績の良くない子供も混じっていましたが、数ヶ月後には全員が優秀な成績を修めるようになりました。

 この実験。実は、教師の評価がどのように子供の成績に影響するかを調べるための実験でした。名前の挙がった子供たちがテストで選ばれたというのはウソで、本当はランダムに選ばれただけだったのです。
 教師が「この子には能力がある」と思い込んだことによって、子供たちはより高い成績を発揮しました。

 外から貼り付けられただけの評価が、中身を変えてしまう。そのように、評価によって本質が変わってしまうことを、瓶に貼り付けられたラベルに例えて「レイベリング理論」と言います。

■なぜ、外からの評価で能力が変わる?

 この実験の結果は、次のように解釈されています。

 先生が教えることを、生徒が理解できなかった場合。
 もし先生が「この子はできない子だ」と思っていたら、「わからなくて当然」ということで、流してしまうでしょう。
 しかし先生は「この子には高い潜在能力がある」と聞いているので、
「わからないということは、教え方に問題があるのかも」
 と考えます。その結果、より熱心に工夫して教えるので、生徒は実際に理解し、成績を伸ばすのです。

 生徒が教師の熱意にのせられる部分もあるでしょう。「ダメなやつ」と考える教師よりも、「できるはずだ」と信じてくれる教師の言葉を聞きたくなるはずですから。

■信じるコツ

 見越し入道と同じで、見上げるほど大きくなり、見下げると小さくなるのが子供。そして、一番子供を見ているのは親。

 といって、実際に子供ができない時に「この子は優秀」と信じるのは難しいですね。自分に対してウソをつくことになります。そこで、「優秀」と信じるのは難しいとしても、
「何かの条件で、本当の力が出せていないのでは?」
 と考えることができれば、先ほどの教師たちと同じように、子供を伸ばしてやれるかもしれません。

 ちなみにレイベリング理論に従えば、子供に
「かわいいなあ~」
 と言ってると、可愛くなるはず。ウチがそうです。可愛いです。

 こんな私を、妻は「バカ親!」と言います。

2015年1月1日木曜日

お年玉、どうしてますか?

 皆様、あけましておめでとうございます。
 今年も、読んでくださる方がいらっしゃると嬉しいです。

 さて、皆様。子供のお正月といえば、お年玉ですね。

 大きすぎる金額を渡して、すぐに無駄遣いされるのは、腹が立ちますよね。といって貯金させても、子供のころの貯金なんて、大人にとっては日常の金額になってしまいます。実質価値が下がってしまうわけで、それもかわいそうに感じます。
 この辺りは、各家庭の価値観が出るところ。

■大人の買いたくないものを買うお金に

 我家の場合は、訓練として自分で管理させます。全額渡して、貯金は原則としてさせません。

 前準備として、三歳の頃から毎週お小遣いを渡していました。その頃の金額は、一日あたり10円。それを貯めて、欲しいものを買うようにと言っていました。この方式、親にとっても便利です。
 子供が欲しがるものの中には、親が買いたくないものもありますよね。すぐ壊れそうな玩具とか、キャラクターの絵がついた風船とか。子供に
「買って!」
 と言われた時、一瞬迷います。

 しかし、小遣いを渡していると、
「お父さんは、それは買いたくない。自分の小遣いで買いなさい」
 の一言で終わり。子供は、欲しいと思えば買いますし、それほどでもないと思えば買いません。欲しくても所持金が足りない時には、
「貯めてから買いなさい」
 と言えばすみます。

 子供にとっては、それが本当に必要かどうかを考える訓練になりますし、我慢の訓練にもなります。

■お年玉を全額渡した結果

 さて、お年玉。
 幼稚園の時、初めてお年玉を全額渡しました。といっても、親戚協定で、一人あたり千円までと決めていたので、一万円はありませんでしたが。

 初回は、やはり舞い上がりましたね。初詣の屋台で風船を買い(ヘリウムが入っていて、浮かぶもの)、ハッカパイプを買い、金魚すくいを何度もやりました。
 その後も、欲しいものを見ては自分の所持金と比べて
「あれ、買えるね」
 と嬉しそうに言い、場合によっては買っていました。あまりに大きな金額の買い物をしようとするときには、
「一週間待ってから買いなさい」
 という指導はしましたが、基本的には自主性に任せて。

 結局、お年玉は夏頃には全部なくなって、そこからはまた一日10円のお小遣いで賄うようになりました。その経験は、本人にとっては貴重なものだったようです。次の年からは、12月まで、お年玉を使いきらずに残すようになりましたから。

 なんでも、失敗しないと覚えないというのなら、お金も一度は使いきって後悔しないと覚えないのでしょう。我が家程度の家庭では、実際に使わせて訓練するのも、ひとつの方法だと思います。

 もっとお金持ちの家では…。それはまあ、別のやり方があるのでしょう。私も使いきって訓練したいものです(笑)。