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2014年8月24日日曜日

長い人生で子供を助けるのは、幼児期のケア

 前回書いたように、幼児期の強いストレスで、心身の発達が阻害されることはわかりました。そうしたストレスから子供を守る方法は?

 現代科学の結論は、簡単です。子供の声に応えること、抱きしめること、気持ちを汲み取ってやることです。

■ストレスの影響を消す、親のケア

 まずは、ラットの実験から。
 実験用の子ラットに実験の処置をすると、子ラットはストレスを受けて、大量にストレスホルモンが分泌されます。ところが処置の後、母ラットが近づいて、なめたり毛づくろいすると、そのストレスホルモンが急激に下がったといいます。
 ただ、母ラットの行動には個体差があり、子ラットにケアをする母ラットも、全く関心を持たない母ラットもいました。
 
 マギル大学の研究者はこのことに興味を持ち、成長した子ラットを比較する実験を行いました。その結果、
「どのテストでも高LG(ケアを受けた)グループの子ラットが良い結果を出した。迷路を抜けるのもうまかった。より社会性があった。好奇心も強かった。攻撃性が低かった。自制がきいた。より健康で、長生きだった。」(p.67)

 個人的には、ラットの自制心をどうやって測定したのか興味がありますが…(笑)。親子の組み合わせを変えて実験しても、同じ結果に。
 ケアを受けなかったラットは、不安感が強く、攻撃的で、迷路などの記憶が悪かったそうです。

 人間の赤ちゃんでも親のケアとストレスホルモンの関係を調査したところ、言葉をかけたり抱きしめたりすることでストレスホルモンが減少することが確かめられました。
 人間の場合、そうしたケアは、成長後にどのように影響するのでしょうか。

■愛着関係と、子供の未来

 ミネソタ大学の研究者は、267人の妊婦を選び、その子供が生まれた時から数十年にわたって追跡調査しました。母親の子供へのケアと、「愛着関係」がどのような影響をもたらすかを調べたのです。

 愛着とは、特定の人間との精神的な結びつきを表す用語で、アタッチメントとも言います。大雑把に言えば、子供が親を信頼し、甘える関係。お母さんにくっつきたがったり、離れることを嫌がったりする子供を見たことがありますよね。

 母親が、子供が泣いたり声を出したりした時に、抱き上げたり声をかけたりして、子供に応えた場合、良好な愛着関係を形成しました。
 逆に、親が子供の声や行動に反応しなかった場合には、こうした愛着形成は弱いか、見られなかったとのこと。
 研究者は親のケアと、子供の愛着行動、その後の人生を追跡調査しました。その結果。

「多くの子供のケースで、満1歳時点での愛着関係が、その後の人生を広範囲にわたって予測できる指標となっていた。愛着の安定した子供たちは、人生のどの段階でも社会生活を送るうえでより有能だった。」(p.74)

 実験を知らない教師たちに、学校での行動や学力などを評価させました。わずかに例外はあるものの、愛着関係の良好な生徒の方が、生活態度も学習態度も良好でした。学力についても同様の結果が出ています。

 それどころか、
「子供たちの高校生活を追ったところ、どの生徒がきちんと卒業するかを予測する際に、知能検査や学力テストの得点よりも、幼少期の親のケアに関するデータの方が精度が高かった。(中略)精度は77%だった。つまり、子供たちが四歳にも満たないうちに、誰が高校を中退するかを8割近い確率で予測できたことになる」(同上)
 267人は母数として少ない感じもしますが、77%というのは、十分すぎるほど明確な結果です。親が幼児の声や行動に適切な反応を返す、というケアが多いか少ないかが、学歴と関係していることは間違いなさそうです。

 ストレスホルモンから守られたせいなのか、信頼関係そのものが良い作用をしたのかはわかりません。ただ、きちんとケアを受けて、愛着関係を形成した子供たちのほうが、社会で能力を発揮できるのは確かなようです。

 子供の能力を発揮させるには、子供の感情をくみ取り、言葉やスキンシップで返してやること。それが、現代科学による結論です。

■低所得の連鎖を避けるために

 この調査の結果を受けて、アメリカでは一風変わった低所得者の援助が始まったそうです。
 よく言われることですが、低所得者の子供は、十分な教育を受けることができなくて、同じように低所得者になることが多いのです。
 これまでの援助は、いかに低所得の子供たちに教育を与えるかでした。しかし、教材や教師によるケアは多額の予算が必要ですし、親が教育を与えるにはその能力が足りません。

 しかし、子供のいる親にケアの必要性と方法を教えることは簡単にできます。ケアも愛着関係も低かった低所得者家庭の親たちが、わずか数回の指導で子供の声に応えるようになり、良好な愛着関係が築けるようになったと言います。
 こうして育っていく子供たちは、ケアから獲得した性格の強みを生かして、低所得者から抜けだしていくだろうと期待されています。

 また、アメリカでは伝統的に子供は子供部屋で放っておくことが多かったのですが、こうした調査の積み重ねによって、放っておく育児はだんだん減っているそうです。

■親が子供に与えてやれるもの

 ここから感想。

 ストレスホルモンの悪影響もさることながら、親がきちんと応えることが社会的な訓練にもなっているのではないかと思います。子供は親の姿を見て成長するわけで、人が呼んでも泣いていても無視する親を見ていたら、社会性が育つわけはありません。

 日本でも一時、欧米の影響で「泣いても放っておく」方が良いとされたことがあります。
 一人で泣いて耐える方が鍛えられる、と考えられていたのですが、いまや迷信であることがわかりました。
 モンテッソーリ教育でも言うように、子供は大人とは別の生き物。大人を鍛えるように子供を鍛えても、成果が出るわけではないのです。

 子供の時代を大事にしてやること。
 赤ちゃんが泣いたら抱き上げてやること。
 子供が喜んだり、悲しんだりしたら、一緒に喜んだり悲しんだりしてやること。

 その気になれば誰でもできることですが、親が子供に与えられる、大きな財産です。


■もし不幸にして、幼児期に十分にケアをしてやれなかったら

 それでも、人間は変わる力があると、著者は言います。自制心、楽観主義、やりぬく力などを身につけることで、人生を変えられるとのことです。


2014年8月22日金曜日

「子供時代の環境が一生を左右する」という調査

 昨年出たばかりの本、「成功する子・失敗する子」(ポール・タフ 英治出版)

 アメリカでも、以前は子供が将来成功するかどうかは知性(または知識量)で決まると考えられてきました。しかし子供たちの追跡調査をすると、学力があっても伸びない子供や、最初はさほどでもないのに、あとで伸びる子供が出てきます。

 様々な調査で、子供たちの人生を決めているのは、ある時点の知識量ではなく、数字に表れない心理的な特質・性格である、ということがわかってきました。

 どんな性質が子供に必要なのか、どのように育てればいいのか、それがこの本のテーマです。
 その中で気になった、子供時代の影響の話を紹介します。

■子供の頃の逆境が、健康に影響する 

 1995年、カリフォルニアの保険団体が、健康診断を受けた人に、子供時代について尋ねるアンケートを行いました。子供時代の「暴力、性的虐待、身体的・感情的ネグレクト、両親の離婚・家族に依存症がいる…」など10項目で、当てはまるものに印をつけて、ポイント化するという調査。

 そのポイントと、現在の健康状態を比べると、
子供の頃に辛い環境にいた人ほど、健康状態が悪い
 というはっきりした相関関係が出たそうです。具体的には、逆境度が4点以上の人は、0点の人と比べて

・喫煙率と、がん、心臓病、肝臓病の割合が2倍
・肺気腫、気管支炎の割合が4倍
・アルコール依存が7倍

 影響は自殺の数にまで及んでいて、6点を超えると自殺未遂の経験が30倍だったそうです。すでに自殺してしまった人は回答できないので、自殺者を入れたらもっと増えるかもしれません。

■子供時代のストレスは、学習能力にも悪影響

 カリフォルニアの実験を知った、サンフランシスコの医師は、先ほどの逆境調査を参考に、学習や行動への影響を見ました。

・逆境度が0点で、学習・行動の問題が見られる子供は 3%
・逆境度が4点以上では学習・行動の問題が見られる子供が 51%

 例えるなら、クラスの中でたった一人と、クラスの半分。恐ろしいほどの差です。

 ストレスの多い環境で育った子供は、集中したり、じっと座っていたり、教師の指示に従うのが難しかったとのこと。強いストレスが、前頭前野の働きを阻害するものと考えられています。

 コーネル大学の研究者は、子供のワーキングメモリ(一時記憶)と、ストレスとの関係を調査しました。
 ワーキングメモリとは、作業中の手順を覚えていたり、計算をする間に桁上りを覚えていたりするのに使う短期記憶能力。学習や仕事で重要な働きをします。
 そして、やはりストレスが高い環境の子供ほど、ワーキングメモリ(一時記憶)の機能が低いという結果でした。

 著者は、こうした脳の変化は、ストレスホルモンが及ぼす悪影響によるものではないかと考えています(神経細胞が、強すぎる反応に耐えられず死滅するという説もあります)。

■以下、感想

 著者は、子供を将来の成功へ導く第一歩は、幼少期に極端なストレスから守ることである、と結論づけています。

 辛い子供時代を送った人ほど、その後の人生も辛い。やりきれない結果ではあります。(そういえば以前、犯罪者の幼少期に、虐待や過度のスパルタ教育が多いことについて書きました)。

 子供への暴力や虐待は論外としても、災害、事故、いじめ、親族の死など、親が努力しても避けられないトラウマもあります。両親の不和などというのも、一種避けようのない災厄かも。

 それでは、強いストレスを受けてしまった子供は、大きなハンデを背負って生きていくしかないのか。
 著者は、親がきちんと向き合い関わることで、子供を逆境の影響から助けることができると述べています。
 詳しくは次回に。

2014年8月17日日曜日

佐世保の高一殺害事件 … モンテッソーリ教育「正常化」の視点から

 前回、佐世保の高一殺害事件について「習い事や勉強で隙間のない生活が、少女を歪めたのではないか」と書きました。その後で、これをモンテッソーリ教育の観点から見ることもできそうだなあ、と気づいたので、補足します。

 モンテッソーリは、こんな言葉を残しています。
「幼いころに心を踏みにじられた人は、大きくなってから必ず復讐します」
 それでは、モンテッソーリのいう心を踏みにじる好意とは何なのでしょうか。

■モンテッソーリの人間観

 このブログで何度も書いてきましたが、モンテッソーリは子供の問題のほとんど全てが、逸脱発達によるものと言っています。乱暴も、落ち着きが無いのも、気が弱いのも、すべては「本来あるべき姿を発揮できないことによる」と。

 人格は手によって作られます。したがって、問題行動をする子供も、手を使う作業に集中することで逸脱が鎮められ、正常化するというのが、モンテッソーリの考えです。
 脳科学的には、集中して試行錯誤することで、意思や自制心を司る前頭前皮質、眼窩前頭皮質が鍛えられるのだと思われます。(「モンテッソーリの言う正常化を脳から考えてみる」)。

 正常化への集中は、

①子供が自分で選んだことに自由に取りかかること
②やり始めたことに続けて取り組むこと
③そのことに全力を傾けること(集中現象)
④以上の過程を通って、満足した表情で自分からやめること

という過程をたどります。
しかしこの過程、親が干渉し過ぎると、うまく辿れないことが多いのです。

■つい親がやってしまう、過干渉

① 親は、計算とかピアノとか「意味のある行動」をさせたいので、「あれをしなさい、これをしなさい」と言いがち。子供が自分で選ぶ機会を奪ってしまうことがあります。

② 子供は満足するまで繰り返し、やりきったと感じたいのに、親はどんどん新しいことをさせようとします。「いつまで同じことをやってるの」と、急かすと、満足するまで繰り返せません。

③子供は全力を傾けて集中したいのに、一挙手一投足を指示したり、うまいとか下手とか評価すると、じっくり集中できません。

 おそらくは、習い事でぎっしりの生活から生まれた今回の事件。
 モンテッソーリの視点からは、正常化の機会を失った未熟な人格が原因になった可能性を指摘できそうです。
 速く成長させたいという親の本能が、子供の成長を妨げるのは、皮肉なことですが…。

■成長のための時間を

 習い事は、子供にとって新しい世界を開くもの。人生を変えるような出会いがあるかもしれません。しかしあまりにも時間を使いすぎると、正常な発達をするための機会を奪ってしまう可能性があります。つめ込まれ、指図され続ける環境では、意志も自制心も育たないのです。
 とくに、敏感期の影響力が強い6歳くらいまでは注意すべきでしょう。

 子供の成長には、教えられる時間だけではなく、自分で自分を育てる時間が必要です。
 常に親の目が行き届くところにいる現代の子供には、意図的に集中の時間を持たせてやる必要がありそうです。

2014年8月13日水曜日

佐世保の高1殺害に思うこと

 佐世保の事件についての論評が、一段落してきました。  「何が原因なのか」という問は、いつものように繰り返されました。おそらくこれまでの事件と同じように、結論を出さないまま終わるだろうと思われます。 ■少女が「できすぎた」わけ  私がこの事件で気になったことは、犯人の少女が「できすぎた」ことでした。  成績は常にトップクラス、スポーツでは国体に出場、美術のコンクールにも入賞する。すごい万能ぶりです。  こんな多岐にわたる能力を発揮するには、相当な時間と努力が必要なことは、誰が考えてもわかります(「一万時間の法則」参照)。  おそらく、幼児期からの熱心な習い事や塾通いの結果なのでしょう。事件報道にも、子供の頃から毎日のように習い事に行っていた、という証言がありました。
 小学校のとき起こした事件は、クラスメートに「勉強ばかりするのはわからん」と言われたことがきっかけでした。勉強にも時間と努力を費やしていたことが見て取れます。  この事件では「テストの点が全てだ」という発言もあったといいますから、高い成績を出すことを求められていたと考えられます。  朝起きて学校にいく。帰ってきてすぐに習い事。戻って勉強。  休む暇もない生活にあったのは、一部の報道にあったような「溺愛」ではなく、期待を押し付け続ける親の姿ではなかったでしょうか。 ■「抑圧された感情は、いつか必ず爆発する」  凶悪事件加害者の生育歴をみていると、いくつかのパターンがあることに気がつきます。虐待やネグレクト、暴力と並んで目立つのが、息をつく暇もなく、しつけや教育を受けてきたケース。  指示や命令に抑えられ続け、溜め込まれた攻撃性が、何かのきっかけで吹き出すのです。  心理学では、抑圧された感情はいつか必ず爆発すると言われています。  小学生の時に小動物などに攻撃性を向けているところから、そのころにはすでに、負の感情が十分に溜まっていたと想像できます。  たしかに、少女にはもともと何らかの素質があったのかもしれません。しかし、もっと余裕のある生活なら、ここまで危険な圧力が高まることはなかったのではないでしょうか。 ■子供の時間は無限ではない  当たり前ですが、子供の時間は有限です。何かに時間を使うということは、何かの時間を失ったということ。  例えば小さい頃からピアノの練習をさせれば、ピアノが弾けるようになるでしょう。しかし、その練習時間分、何かの時間が減っているのです。  その時間は睡眠時間だったかもしれませんし、家族との触れ合いの時間だったかもしれません。心が育つために必要な、遊びの時間だったかもしれません。   ピアノが弾けるという結果は目に見えてわかるのですが、代わりに何を失ったかは見えません。見えないものは、見えるものよりも軽く見られがちです。  昔、消化できないから要らないものと思われていた食物繊維。今、メタボを防ぎ、腸の健康を守る成分として、その重要性を否定する人はいません。
 子供の時間も同じです。大人から見て「役に立つ」ものだけをさせ、無駄を排除しすぎると、思わぬ弊害が待っている。  そんなことを考えさせられた事件でした。

2014年8月6日水曜日

伸びると信じるだけで、子供の能力は伸びる

 キャロル・ドゥエックの本「やればできる!の研究」によれば、能力に対する考え方は、大きく分けて二通りになるそうです。
 能力は生まれつき決まっていて、変わらないとする考え方。
 能力は努力や経験で伸ばすことができるとする考え方。

■生まれつきと考える人、努力や経験と考える人

 能力は生まれつき決まっていると考える人たちを、ドゥエックは「こちこちマインドセット」と呼んでいます。
 この人達にとっては「現在の能力」が、そのまま持って生まれた能力の全てを表すことになります。したがって、能力が低く見えることを恐れ、難しいことを避けて通る傾向があるとのこと。
 また、自分の能力を高く見せたいと、虚勢を張るのも、こうした考えをもつ人に多いとしています。

 能力は伸ばせると考える人たちを「しなやかマインドセット」と呼んでいます。
 この種の人達にとっては、現在の能力は成長の過程を表すに過ぎません。難しい課題も、自分の能力を測る物差しではなく、成長の材料になるのです。

■「努力や経験」と考える人は伸びる!

 追跡調査をすると、能力は変えられると信じている人のほうが、長期的に見て高い能力を示すといいます。

 能力は生まれつきだと思っている人は、現在の能力が可能性の全てと信じているので、努力で伸ばそうという意欲が薄いのです。「今、できないんだから、ずっとできないんだ」と、すぐに諦めてしまうわけ。
 逆に、能力は努力次第で伸びると考えている人は、努力しながら能力を育てられるということ。

 子供に「能力は変わるのだ、練習や経験で伸びるのだ」という「しなやかマインドセット」を持たせてやれたら、大きな財産になるでしょうね。

■反省…

 この話、子育てよりも自分自身のこれまでを振り返って、身にしみるところが大きいです。典型的な「こちこちマインドセット」で、「自分は運動神経が悪い、絵は絶対に描けない、泳ぎも上手くならない」と思い込んで、大人になりましたから。

 しかし大人になってから運動してみたら、そこそこ身体が動くようになってきました。絵も時々描いているうちに、ゆっくりですが上達しますし、子供に付き合ってプールに行っているうちに水泳についてもいろいろわかってきました(すべて「当社比」ですけど)。
 思い込みで諦めていた部分が、本当に大きかったのです。子供には、そんな思いはさせたくありません。

 無理に努力を勧めはしませんが「能力は持っているものではなく、伸ばすもの」という考えだけは教えておきたいと思っています。
 子供が「◯◯ができない!」と言ったときには「今はできない」「今は練習が足りない」と言い直させてみたり。ささやかなことではありますが…。


2014年8月2日土曜日

「えらいね」「賢いね」はマズい褒め方

 子供に自信を持たせるには、褒めて育てるのがいい、と言われます
 そこで「えらいね」、あるいは「賢いね」という言葉を使って褒めたりするわけですが、こうした褒め方をされた子供が、本当に頑張るのかどうか。
 「間違いだらけの子育て」という本の中に、それを確かめた実験があります。

■褒められて心がくじける場合

 まずは子供たちに問題を解かせ、褒めます。
 片方のグループの子供たちには「頑張ったね」「よく考えたね」という褒め方を。
 もう一方の子供たちには「頭が良いね」「賢いね」という褒め方をしました。
 休憩の後、子供たちに新しい問題を出すのですが、ここで「好きなレベルの問題を選んでいいよ」と、選ばせると、先ほどの2つのグループではっきりと差が出たそうです。

 「頑張ったね」「よく考えたね」と言われた子供たちは、先ほどの問題よりも難しい問題を選び、チャレンジしました。
 逆に「頭がいいね」「賢いね」と褒められた子供たちは、先程よりも簡単な、確実に解ける問題しか、解こうとしなかったのです。

■褒め言葉に含まれる言外の意味

 どちらも褒めたはずなのに、どうしてそんなにやる気が変わってしまうのか。
 これは、結果を褒めたか、姿勢を褒めたかの違いだと解釈されています。

 「賢いね」という褒め方は、言外に「問題を解けたから賢い」という意味を含みます。逆に言うと「解けなかったら賢くない」わけです。
 解ける・解けないの結果に自分自身の評価がかかるので、解けないことを恐れるようになったと考えられます。

 逆に「頑張ったね」「よく考えたね」は、努力した姿勢を褒めています。この場合、問題を解けるかどうかは心配する必要がありません。一生懸命頑張れば、それが評価される。その結果、難しい問題にもチャレンジできたのです。

 つまり子供を伸ばすには、結果ではなく努力や挑戦を褒める方が良い、ということになりますね。

■我が家では…

 努力を褒めることが、子供の意欲を高めたり、挑戦する気持ちを支えたりすることは確かなようです。ですから、努力を旨とする方針の家庭なら、この方法を使うことがオススメ。

 では、我が家では、そうやって努力を褒める方法を使っているのか?
 実は、あんまり使っていません。ここから先は、それぞれの家庭の考え方だと思いますが…。

 我が家の方針は「自分の好きなことを、楽しくやって欲しい」です。好きな事なら放っておいても努力するだろうし、好きでないことはそこそこでいい。
 励まして努力させるのは、学校の勉強など、どうしてもやらなければならないことだけにしようと思っています。できればそれもしなくていいように、学習ゲーム・学習マンガを与えてみたり。

 そんなわけで子供を褒めることはあまりなく、何かをやった本人が嬉しそうに報告してきた時に、
「そうか、よかったな」
 と言うのが、一番多く使う褒め言葉かもしれません。あとは、何かしてくれた時の「ありがとう」ですね。。


 さて。
 「やる気」について、さらに突き詰めて研究した学者が、キャロル・S・ドゥエック。次回はドゥエックの本「やればできる!の研究」から、もう少し解説を。



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