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2014年12月26日金曜日

子供に嫌われない叱り方

■わたしメッセージとは?

 以前にも書いた、「親業」の「わたしメッセージ」。
 相手を批判する「あなたメッセージ」ではなく、自分自身がどう感じるかを伝える事で、人間関係を良好にするコミュニケーションの方法です。

 例えば、子供がランドセルを床に投げ出している時。
「あなたはどうして片付けないの!」
 と、「あなた」を主語にするのではなく、
「ランドセルがそこにあると、(私が)通れなくて困るの」
 と、私を主語に伝えるのが「わたしメッセージ」です。直接相手を責めることがないので、良好な関係を保ったまま、必要なことを伝えることができます。

■根底にある、前向きな感情を語ろう 

 親業の本で面白かったのは、同じ状況でも、前向きに表現する方法があるということ。例としてあげられていたのは、子供の帰りが遅かった時です。

「遅いから、イライラしたじゃないの」
 これも「わたしメッセージ」には違いないのですが、イライラした、というのはそれ自体が一つの非難になります。
 それよりも、イライラした理由はなにか、考えてみよう、というのが親業の提案です。子供の帰りが遅い時、イライラしたのは、きっと心配だったからのはず。それなら、イライラの根底にある「心配」を語るほうがいい。
「心配で心配で、イライラしてたよ」
 と伝えるのです。

 言われる子供にとって見れば、
「遅くて腹が立つ」
 というのと、
「心配でたまらなかった」
 というのでは、意味合いが180度変わります。

 親が子供を叱るときには、愛情が背景にあることが多いものです。怒りや悲しみでも、その感情がどこからくるかを考えれば、前向きな感情として表現することができるはず。
 そういう感情を探すのは、一種の頭の体操でもあります。…脳トレとしてもいいかも。

2014年12月22日月曜日

二度と戻らないプリキュアショー

 公園などで、親子連れに出会うことがあります。まだ一歳そこそこの、ようやく歩けるようになった子供が、お母さんと遊んでいました。両手を前につきだして、倒れそうで倒れない、一歳時独特の歩き方。ああ、あんな頃もあったなあ、としみじみ思い出します。

 つい先日生まれたばかりだと思っていた子供が、もう八歳。時間のすぎるのは早いと実感しますね。そして時間は、過ぎてしまったら戻りません。

■永遠の謎、プリキュアショー


 ようやく文字が書けるようになったころなので、5歳くらいだったでしょうか。娘が、ピンク色の小さな紙を持ってきました。書いてあったのは

「プリキュアがくる! プリキュア ステージショー」

 なんと、招待券でした。
 娘はプリキュアのテレビは怖がって見ないのですが、衣装は大好き。このころ、ピンク色の紙を使って服をつくるのが彼女のブームでした。ステッキも持って、すっかりその気です。
 歌うのか、踊るのか。バカ親としては、実に楽しみです。ところが、時間が遅すぎました。どんなに遅くても9時には寝かせるつもりが、すでに9時5分前。
「わかった、ショーは見たいけど、明日にしような」
 家族にチケットを配り終えた娘は、素直に寝に行きました。

 次の日。

「ステージショーは?」
 と聞いたのですが、
「え?」
 みたいな顔をされました。どうやらもう、興味がなくなってしまった様子。むなしく残る手元のチケット。その後、彼女がステージショーを行うことはありませんでした。

 二度とは戻らない時間。こんなことが起こるのも、子育てです。可愛い姿は、むりしてでも見なくてはならないと実感した事件でした。
 それにしても、どんなステージショーになるはずだったんでしょう。永遠の謎です。

2014年12月20日土曜日

たまたま … 失敗を叱ることで、子供は伸びるのか?

 先日読んだ本が面白かったので、その話。
 「たまたま―日常に潜む偶然を科学する」という本です。

 単なる偶然を、まるで意味があるかのように勘違いしてしまうケースを解説した本です。


 印象に残っているのが、厳しい飛行教官の話。彼は、自分の生徒たちを厳しく怒鳴りつけることで有名だったそうです。いわく、
「生徒は褒めると気が緩んで失敗する。叱りつければ、失敗が減って上達する」
 というのです。一見、わかりやすく見える意見。

 しかし、この本を書いている科学者は、それは単なる偶然にすぎないといいます。

■どんなときに叱って、どんな時に褒めている?

生徒の実力を、仮に100としましょう。もちろん、いつも実力通りに飛行機を飛ばせるわけではありません。70くらいの力しか出せない時もあれば、130の力が出せる時もあります。これは、偶然によるばらつきです。

 教官が生徒を叱るとしたら、彼が70の力しか出せなかった時でしょう。叱られた彼は、次の時にはいくつの力を出すでしょうか? もともと100の力があるのですから、かなりの確率で100前後で飛ぶはずです。しかし教官は「叱ったから上手くなった」と考えます。

 逆に、彼が130の力を出したら、教官は褒めるでしょう。しかし褒められた彼が次に飛ぶときは、もともとの実力、100前後で飛ぶ可能性が高いです。教官は「褒めたからダメになった」と判断するでしょう。

■結果で一喜一憂しない

つまり、最初に上手く行かなかった(叱られた)場合、その次にはマシな結果が出るので、叱られて上達したように見えるのです。逆に、上手くできた(褒められた)後には、低い結果が出る可能性が高いので、褒めると気が緩むように見えるのです。

 つまり、褒められたり叱られたりすることと関係ない実力のばらつきを、褒めたり叱ったりの結果だと考えているところが間違い、ということ。

 この話、子供を育てるときにも覚えていて良さそうです。
 親にとっても、子供を叱るのはストレスのはず。気楽に過ごせるなら、そのほうがいいに決まってますよね。

2014年12月2日火曜日

二番じゃダメなんですか?

 題名の言葉、民主党政権の仕分けで出ました。流行語にもなりましたね。
 技術や商売の世界では、ナンバーワンは極めて有利。特許や広告効果などを考えれば、十分に意味があります。

 では、子育ての時は?
 親としては子供に優秀になってほしいと思うもの。とはいえ、
「1番でなくちゃ、意味が無い!」
 とまでいうと、子供を不幸にする呪いになります。

■テレビ・ネット時代の不幸

 昔はよかったのです。人間の村というのは、150人位の規模であった時代が長かったらしいのですが、この人数で「何かで一番になれ!」というのは、わりと簡単な事。
「村一番の美人」
「村一番の足の早さ」
「村一番の知恵者」
 などなど、何かの分野を限れば、すぐに一番になれます。集団の中で自分の長所を認識し、自信を持つことができるわけです。

 ところが、テレビやインターネットがあると、そうはいきません。世界中の情報が入ってきますので、一番になるのは極めて難しくなります。
 近所で一番の美人でも、テレビの中にはそれ以上の美人がゴロゴロ。足の早さの一番は世界陸上で決定されるし、頭のいい人は、いくらでもいる。

 そんな時代に「一番でなくちゃ、意味が無い」という価値観を持てば、どう考えても辛いだけ。
 「どうせ一番になんかなれないし、意味が無いなら、やる価値がないよね」と、努力そのものから逃げてしまえば、本来出せるはずだった力も、出せなくなってしまいます。

■幸せのもとは、身近な人間の認証
 
 「もともと特別なオンリーワン!」というのも、流行りました。多分、子供の幸せを思うなら、ナンバーワンじゃなくて、オンリーワン。

 ただ誤解してはいけないのですが、オンリーワンは「個性的」という意味ではありません。これだけたくさんの人がいる中で、誰とも違う個性があるなんて、ありえないことです。
「人と違っていなければいけない」
 というのでは、ナンバーワンのときと同じで、ムダなプレッシャーになるだけ。

 普通に手に入れられるオンリーワンは、身近な人間関係の中にあります。親から見て、友達から見てなど、近くの人が見て、かけがえのない、たった1人という意味。これなら、誰でも本当の意味でオンリーワンになれます。
 オンリーワンの自分の価値を信じられる子供は、勝ち負けや人との比較といった、外部の要因に左右されること無く、自分の能力を伸ばしていけるのではないでしょうか。

 多くの育児書が、子供を甘えさせること、自己肯定感を育てることの重要性を語っているのは、そういうことではないかと思うのです。