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2012年8月31日金曜日

子どもの意欲の活かし方


 「子供の意欲を活かす」という話を書いていると、心配になる方もいるのではないでしょうか。
「子供の意志につきあっているだけでは、子供は楽な方に流れるのではないか?」
 私の子供は現在6歳ですから、先々のことまではわかりません。しかし今のところ、信頼しておいて大丈夫だと考えています。なぜか?
 人間は「ちょっと難しいくらいを面白がる生き物だからです。

子供の意欲を高めるには


 スポーツが面白いのは、ちょうど自分と同じくらいの人と競っているときです。必ず勝つだけでは飽きてしまいます。

 娘の場合も、歩けるようになるとすぐ坂道を上りたがりました。坂道を上れるようになると、今度は階段上りに熱中しました。
 二歳頃、ハサミを使いたがった時もそうです。最初は広告の端に切り込みを入れることに集中し、やがて切り離すことを覚え、最後には自分の好きな形を切り抜くようになりました。
 子供は「ちょっと難しい」を求めて、勝手に新しいことに手を出してゆくものです。そして、結果としてそのほうが早かったりします。
 「子どもは成長したいという熱意をもっている」というのがモンテッソーリ教育の基本観念です。

 ただし、親がやらせたいことをやってくれるかはまた別の問題。

子供は子供のペースで育つ、という悟り

どんな敏感期がくるかは個性と発達の問題で、コントロールすることは出来ません。
 子供は子供のペースでしか育たないのだ、と納得することが必要です。

 どうしてもさせたいことがある場合、子供の周りでやってみせていれば、興味をもつかもしれません。モンテッソーリは「三歳までは周りの環境を無条件に吸収する」としているので、その時期に親が毎日ピアノをひくとか、英語を勉強しているところを見せるとかしていれば、吸収する可能性はあります。

 そういえば、トイレトレーニングはこの方法で手抜きしました。
 うちでは、二歳頃まで特にトレーニングはしていませんでした。そのかわり子どもの気分がのってくるよう、テレビ番組「いないいなばあっ!」の歌「それゆけ うんちっち~」を流してみたり、絵本「「ぷくちゃんのすてきなぱんつ」(ひろかわさえこ)を読んでみたり。
 するとある日いきなり、娘が宣言したものです。
「きょうからといれでする!」
 この一回目がたまたま上手くいったもので、本人、大得意。あとは順調にすすみました。

 子供は自分で育とうとするもの。親はそれを利用して、なるべく手を抜きたいものです(笑)。



2012年8月28日火曜日

「臨界期」と「敏感期」は、似ているようでちょっと違う


 前述したとおり、モンテッソーリ教育最大の特徴が敏感期の活用です。
 敏感期とよく似た言葉に「臨界期」があります。この二つは生物学では、ほぼ同じ意味です。ただし日本で教育について語る場合には別の意味になることが多いですね。

 「臨界期」は、絶対音感とか語学とかの早期教育を語る場合に使われます。
 「敏感期」はモンテッソーリ教育で使われる事が多いです。
 以下、臨界期と敏感期の違いをさらっとまとめてみます。

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臨界期は、脳が柔らかい期間のこと

幼児期の脳は、多くのニューロン(脳細胞の結びつき)を作る作業と、使わないニューロンを消す作業を、同時に行なっています。
 
 ニューロン活動の盛んな時期は、一般に8、9歳ごろまでといわれています。これが、臨界期です。
 だから、脳が固くなる8、9歳くらいまでにいろいろ教えこもう、と言うのが臨界期を頭に置いた教育です。

一言でいうと、「早ければ何でも覚えやすい」というのが臨界期の考え方。

イラストはフリー素材「子供と動物のイラスト屋さん」から

敏感期は、特定の学習意欲が高まっている状態

それに対して敏感期は、子供の意欲を中心とした考え方です。

 ツバメのヒナは、巣立ちが近づいてくると、誰に教えられなくても羽ばたきの練習を始めます。人間にもこうした本能のプログラムがあると考えます。

 例えば、文字の敏感期がきている子供は、「覚えたい!」という意欲に燃えていますから、本や教材を与えておくだけで、いくらでも文字を覚えます。これを敏感期の前に教えようとしても、子供自身の「覚えたい」という意欲が無いため、苦労ばかり多くて結果が出ません。遅くても、意欲が無くなってから勉強することになりますから、やはり大変。

 だから敏感期は「何かの学習意欲が高まる時期」と考えた方がいいですね。それを活かすのがモンテッソーリ教育。

敏感期を活用するには

敏感期は本能によるものなので、親や教師が決めることはできません。
「その時に持っている意欲を最大限に活かしてやることが敏感期の考え方です。

 親にできることは、いろいろなものに触れられるようにしておき、何かの敏感期が来ていると思ったら環境を整えてやること。そして、子どもの邪魔をしないこと。

 こう言うと面倒くさいように思うかもしれませんが、そんなに複雑な話ではありません。誤解を恐れずシンプルに言ってしまえば、
「敏感期とは、子どもが何かに夢中になって取り組んでいるとき」
 と考えておけばいいのです。だから、「子供が今、何に興味を持っているか理解する」というのがモンテッソーリ教育最大のポイントなのです。

・文字の敏感期については、「文字の敏感期についての個人的体験」に書いてあります。

2012年8月22日水曜日

写真集「未来ちゃん」の仏頂面がかわいい


 前回、ニコニコばかりが子供の魅力じゃないなあ、と書きました。なんであれ、一所懸命な子供は可愛い。そうした、一所懸命な子供の魅力がつまった写真集があります。

「未来ちゃん」川島小鳥 ナナロク社

 佐渡島の三歳児の写真だそうです。内容は表紙を見てもらえば一目瞭然。ケーキを口に押し込む、気迫に満ちた顔!

 走る、木登りをする、側溝に寝転がるなど、生活風景を横から撮った写真が大半。町での生活ではなかなかできない、ワイルドな行動がうらやましくもあります。

 カメラ目線の写真は少なく、笑顔の写真はほとんどありません。仏頂面だったり、鼻水を垂らして泣いていたりします。でも、その顔には明確な意志が輝いています。

 一生懸命な姿。たぶんどんな子供でも持っている魅力なのですが、それを改めて写真に定着してくれたカメラマンに感謝です。


2012年8月20日月曜日

娘一歳半、むやみに階段を上がる


 3歳までは、身体の使い方の基本を学ぶ時期だと言われています。立つ、歩く、手を使ってつかむなど。
 講談社+α新書の「子供の潜在能力を101%引き出すモンテッソーリ教育」では、歩くことの次に、登ることの敏感期が来る、としていました。登ることを通して、全身のバランス感や筋肉の使い方を覚えようとする、本能の現れだそうです。

階段を上がる敏感期


 うちでも、歩きの安定した一歳半ごろ、やたらに階段を上りたがる時期がありました。
 もちろん、しょっちゅう落っこちます。最初のころなどは2、3歩ごとに落ちて泣いていましたが(もちろん後ろについていて、頭を打たないように受け止めてました)、上ることはやめません。普段は柵をつけておいて(下にあるような、突っ張り式の柵)、親がついていられる時に好きなだけ上らせました。

 特に熱中したのは、デパートの階段です。
 地下一階から七階屋上まで、柵につかまりながら一歩ずつ上ります。食料品のフロアも、おもちゃ売り場の階も全く興味なし。ただひたすらに登ることに集中します。
 屋上まで到達すると急にぼんやりするので、地下一階まで連れて戻ってやると、はりきって再スタート。最高記録は、二回半。時間があれば、もっと上ったかも。

 大人はどこかに行くために上ります。しかし子供は、上ることそのものに意味を見いだしているようです。
 同じことを繰り返しているように見えても、少しずつ行動は発展しています。最初は左足から上って右足を引き上げるだけだったのが、だんだん両足を交互に使えるようになる。そしてやがては、柵から手を離して上る。その過程で脳が、全身の神経が発達していくのでしょう。
 大人でも、何かに上達してゆく時には楽しいもの。敏感期の子供も、そうした楽しみを味わっているのかなと思います。

 子供の敏感期につきあうのは、面倒と言えば面倒です。しかし一心不乱に頑張り続ける子供を見ていると、だんだん頼もしく、うれしく思えてくるのも事実。
 ニコニコばかりが子供の魅力ではないなあ、と思えてきます。



2012年8月16日木曜日

娘11ヶ月、ひたすら洗濯物をつかむ


 敏感期を定義すると
「生物の幼少期、ある能力を獲得するために、環境中の特定の要素に対して感受性が特別に敏感になってくる一定期間」 (「ママ、ひとりでするのを手伝ってね!」相良敦子)
 だそうです。大雑把に言えば「そのときの成長に必要な課題に集中する時期」といっていいでしょう。
 前々回に書いた「秩序感の敏感期」のほか、「言葉の敏感期」「感覚の敏感期」など、様々あります。

 敏感期には集中力と感受性、そして強い意思が表れます。

手を使う敏感期の子供


 娘が一歳になる前、まだようやくつかまり立ちが始まった頃。
 洗濯物を入れるカゴにつかまっていた彼女が、洗濯物を引っ張り出し始めました。つかんでは引っ張りだして、外にポイ。またつかんでは引っ張りだして、ポイ。

 一歳前後、つかんだりはなしたりすることの敏感期がくる、というのは本で読んでいました。そこで、おもしろ半分で、出した洗濯物をカゴに戻してみました。
 娘が右から引っ張り出す。私が左からカゴに戻す。
 娘が引っ張り出す。私が戻す。
 引っ張り出す。戻す。
 出す、戻す。

 休憩なし。声一つ出さず、親の顔を見もしません。突っ立ったまま、ひたすら洗濯物をつかみだし続けます。ようやく疲れて座り込み、親の顔を見上げたときには、30分以上もたっていました。
 立つことも出来ない子どもが、あまりにも長時間集中できることに驚いたものです。

 次の日からは靴下の引き出しを開けておくことにしました(洗濯物を散らかされるのは困るので)。それから何日か、飽きることなく引っ張りだしていましたね。


 敏感期は、いわば本能ですから止むに止まれぬエネルギーを持っています。止めるよりも生かしてやりたいもの。
 子供が何かを始めたら「もしかして敏感期かも」と考えてみてください。そして、安全なように、片づけやすいように環境を整えて、見守ってやってください。



2012年8月14日火曜日

モンテッソーリ教育の、かなり大ざっぱな説明


 モンテッソーリ教育の創始者は、イタリアの女医マリア・モンテッソーリです。
 もともと障害児の教育に取り組んでいたモンテッソーリは、1907年、今で言う保育園を任されます。そこで発見したのは、一定の条件を満たすことで、子供が能力的にも人格的にも大きく変化・成長してゆく姿でした。
 彼女はその事実をもとに、変化にはどのような法則があるのか、どのような環境が、働きかけが必要なのかと研究しました。それがモンテッソーリ教育と言われる一連の方法です。

 モンテッソーリ教育を特徴づけるのは、独特の子供観です。それをざっくり表現すると、以下のようになるでしょう。


・子供は自ら学び、成長する存在である

子供は大人から一方的に教えられるだけの存在ではありません。主体的に、周囲の環境に働きかけて学ぶ存在です。


・ひとりひとりが「成長のプログラム」を持っている

環境があれば、なんでも取り込むかというと、そうでもありません。赤ちゃんの発達が
首がすわる → 寝返り → 這い這い
 と、順番に起こるように、発達には生まれ持った順序、「プログラム」があるのです。

・必要なときに必要な学びを行うと、子供の良さが出てくる(正常化)

乱暴だったり集中力がなかったりという問題は、成長のプログラムをきちんと踏めなかったためだ、とモンテッソーリは考えました。
そこで、成長のプログラムをきちんと踏めるよう援助できれば、問題行動を治すことも出来ると考えます。

 モンテッソーリ教育は、こうした子供観をもとに「子どもが自ら学ぶことを援助する」ことを目的にしています。
 その適切な援助に必要なのが、前回も書いた「敏感期」の知識。敏感期の活用こそが、モンテッソーリ教育の最大の特徴です。 

2012年8月11日土曜日

イヤイヤ期の簡単な対処法


 友達夫婦のところに遊びに行ったときのことです。
「疲れたなー」
 と、その家のご主人が寝っころがったとたん、当時2歳だった娘さんが、怒りだしました。「だめー!」と叫びつつ、お父さんの頭を押しのけようとします。お父さんもお母さんも、なんで子供が怒っているのかわかりません。

 娘さんはさらに大声を上げて「まくら違うー!」
 よく見ると、ピンクの線が入った枕カバー。これでピンときました。
「あれ、お母さんの枕ですか?」
「そうですけど」
「じゃ、お父さんがお母さんの枕で寝てるから、怒ってるのかもしれませんよ」
「は?」
 半信半疑のお母さんが枕を取り替えると、娘さんはけろっと機嫌を直しました。

 これはモンテッソーリ教育で言う「秩序感の敏感期」のなせる技。
 

■秩序感の敏感期とは?

2歳、3歳頃、子供が急に泣いたり怒ったりして言うことを効かなくなるのを「イヤイヤ期」と読んだりしますね。
 実はこのころ、子供は「秩序感の敏感期」にあります。「誰のもの」という区別や、物事の順番、ものを置く位置などに、強くこだわる時期だと思ってください。

 子供は、周りの物や慣れた手順を基準にして生活しています。
 そのため、ものの場所が変わったり、手順が変わったりすると、どうしていいかわからなくなって大混乱するわけです。

 イヤイヤ期というと、わざと反抗していると考えがちですが、実は変化による混乱でパニックになっているだけだったりします。原因がわかれば相手をするのも簡単。だから「秩序感の敏感期」に気をつけるだけで、大半のイヤイヤは消えてしまいます。

■イヤイヤの時は「なにか変わっていないか?」

いつもと違う手順でやっていることはないか、いつもと違う場所にものをおいていないか、個人のものを間違って使っていないかなどチェックして、もとに戻してやるだけで、子供はおとなしくなります。

 いつもの食器を割ってしまったなど、もとに戻せないときもありますが、何を嫌がっているのがわかるだけでも
「そうか、そうか」
 と対応する余裕が出てきます。親も楽だし、子どもにも優しい。

 というわけで、次回はそのモンテッソーリ教育について。

 

モンテッソーリ教育は親にも子にも優しくてオススメです


 三十代半ばにして、娘を授かった父親です。
 幸いにも自宅仕事の自営業なので、おむつ替えから寝かしつけ、遊び相手まで、思うぞんぶん子育てに関わることができました。
 だからというわけではありませんが、子供は可愛いです。そりゃあもう、可愛い。顔が私に似てしまったのは可哀想だけど、やっぱり可愛い。

 可愛いもんだから、出来る限り甘やかして育てたいし、叱りたくもない。といって、全く叱らないわけにもいかないので、なるべく叱らないですむ方法を模索してきました。
 そこでもっとも役立ったのが、モンテッソーリ教育の知識です。

 英才教育と考えられることの多いモンテッソーリ教育ですが、本当の価値は、観察に裏付けられた子供への理解にあります。
 イタズラや反抗に見える行動にも、成長に関わる理由がある。そのことがわかってくると、叱る必要が激減します。ちょっと配慮するだけでトラブルが減らせるので、親も楽。

 本格的なモンテッソーリ教育を行うには専門知識も設備も必要です。しかし「モンテッソーリ教育の風味」をちょこっと足すだけでも、子育ては楽になる気がします。

 私と同じように子どもを甘やかしたい親のために、モンテッソーリ教育を中心に、「親業」の話など、いろいろ書いてゆきたいと思います。