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2014年7月29日火曜日

「ごほうび」には副作用がある

 前回、エサをまくという題名だったのですが、そういえば「エサをまく」にはもうひとつの意味もありましたね。
 「◯◯ができたら、あれを買って上げよう」
 とか、
「これをしてくれたら、◯◯を食べさせてあげる」
 とか。

   こうしたごほうびは、すぐに子供を動かすことができる方法の一つ。
 しかし使いすぎると副作用もあるようです。その副作用とは「何かもらえないと、動かなくなること」

■「ごほうび」が当たり前になると

  子供が部屋を片付けたりするとき、それを仕事だとは思っていませんよね。
 しかし、もし掃除をするたびにごほうびをもらっていると、掃除と報酬が意識の上で結びついてきます。報酬と引き換えに掃除をする、いわば仕事になるわけです。
 仕事と感じたら、利益がないのに掃除をすると、タダ働きした気になってしまいます。こうなると自分から何かをすることは期待できません。
 いいことを勧めているつもりが、かえってやる気を削いでしまうという逆効果。

 心理学的には、こうした「ごほうび」は、予想できないところで与えられるのが良いといいます。
 普通はもらえず、突然もらえる時があると、「ラッキー!」という喜びがあり、意欲が出るとのこと。もらえないのが普通なので、ごほうびがないときのやる気が減ることもありません。

■褒めるのもご褒美のうち

  ご褒美というと、ものやお金を考えがちですが、実は褒め言葉もご褒美のうち。子供を動かすために褒め言葉を多用し過ぎると、褒められる時だけ頑張って、褒められないときには意欲が出ないことに。

  こうした問題は、評価する褒め方の時に出やすいようです。
 子供を認めるには、上から評価する褒め方だけではなく、努力を認めたり、何かが出来た時には一緒に喜んだり、いいことをしてくれた時には感謝したりと、いろんな認め方を考える方が良さそうです。

 そういえば、褒め方1つで子供の成績が上がったり下がったりするという話がありました。次回は、この話を。

2014年7月24日木曜日

子供を伸ばしてやるため、エサをバラまく

 敏感期の特徴は、何かに突き動かされるような一点集中型のエネルギー。自分を育てようという衝動です。
 モンテッソーリ教育では、このような敏感期が見られるのは、だいたい六歳までとしています。  ただ子供の生活を見ていると、敏感期的な行動パターンは、六歳を超えても続いています。そして、学びの基本になっているように思えてきました。


■娘の場合  娘の場合、去年の今頃から急に石に関心をもつようになりました。庭の石を拾ってくることから始まって、図鑑や本を読みあさり、石の即売会に出かけ、クリスマスプレゼントには岩石標本を希望。あげく博物館の岩石採集ハイキングにまで参加させられました。   ところがちょうど一年くらい過ぎた頃から急速に興味が減少。いまでも本人は「石好き」と言ってはいますが、親から見ると、その落差は明白。明らかに熱が冷めています。  ただ、この1年で覚えた知識が消えるわけではありません。石から始まって石器→考古学の一部にまで興味を広げたのは大きな収穫でした。
 本人がやりたくてやっていることですから、親が想像もしていなかったところまで走ってくれました。  考えてみれば、私自身も似たような経験があります。
 仕事は鍼灸マッサージ師ですが、ある時急に、足の骨格に興味が出て、開けても暮れても足の模型と睨み合っていたことがあります。治療の力がついたと実感できたのは、その時。  自分の意志で集中するときにこそ学びが起こる、というモンテッソーリの原則は、6歳では終わらないようです。


■家庭でしか出来ないこと  やれと言われてやることよりも、自分で好きでやることの方が熱心になれるのは、大人も子供も同じです。子供が興味に惹かれて走るときの、あのすごいエネルギーを活かすことは、学校教育ではできません。
 もちろん、塾でも無理。できるのは子供を見ている親だけです。  子供を観察するのがモンテッソーリ教育の基本ですが、その観察は、幼児期だけでは終われないようです。  娘が、次は何に食いつくか。いろんなテレビや図書館の本を見せながら、観察しています。妻はそれを、
「エサをバラまいてる」
 と言います。

2014年7月16日水曜日

英語が世界標準であることの意味

 古い話ならVHSとベータのビデオ戦争。もう少し近づいて、ブルーレイディスク。最近なら、EV車の規格まで、電化製品の歴史は、世界標準の争奪戦です。
 多くの会社が標準化で争うのは、自社の製品規格が世界で通用するようになれば、その後の商売で圧倒的優位に立てるから。規格を制するものは世界を制するのです。  そして今、言葉では英語が世界標準。この意味、わかりますね?


■欧米に有利な世界標準  残念ながら論者を失念したのですが、新聞上で「インターネットは国の格差を固定する」という意見を読んだことがあります。その概略。 「インターネットの公用語は英語なので、英語圏、とくにアメリカの青少年は、専門分野だけ勉強していれば世界に通用する。
 ところが非英語圏の人間は、専門分野と英語の両方を身につけなければならない。学問をする時間が有限である以上、莫大な時間を英語の学習に費やさなければならないのは大きなハンデである。アジア、アフリカ圏の青少年は不利な状況におかれている…」  英語を学ぶのに必要な時間は、文法や発音が英語とどのくらい近いかという理由で決まります。ドイツ語、イタリア語などヨーロッパ圏の人なら、だいたい1000時間でOK。
 日本語は英語から最も遠い言語の一つに分類され、前回書いたとおり、3000時間が必要とされています。  一口に3000時間と言いましたが、これは四年制大学の全授業時間に匹敵します。単純に考えれば、日本人が英語を学び、大学レベルの勉強を終える頃、英語圏の人たちは大学院と博士課程を終えていることに。
 もしネイティブ並みの英語を義務化したら、日本が学問の世界で遅れをとる可能性は極めて高いでしょう。  といって、英語によるコミュニケーションを諦めたら、商売や政治、文化交流で遅れを取る可能性が高い。
 どっちにしても不利である以上、英語の学び方を考える必要があります。


■日本人はどうすればいい?  「一流の人は、両方できてるよ」という声もあるでしょう。しかし、その人達も英語にたくさんの時間を使ってきたはずで、英語がなければ、もっと専門の研究を進めていたかもしれません。  そう考えると「グローバル化!」といってむやみに英語の授業を増やすのは、わざわざハンデを背負いにいくようなもの。日本が今後も発展してゆくには、英語教育の負担を減らすことを考えないといけません。
 実際にできそうな方法は3つあります。  1つ目はネイティブ並みの英語と高度な日本語を操る通訳を、大量に育成する。必要なとき、すぐに頼れるくらいにたくさんいるといいですね。  2つ目に、前回書いたような翻訳機を早く開発し、一般化すること。積極的に予算を割けば、発展を早めることもできそうです。  3つ目は、英語を少しでも簡単に学べるようにすること。
 「聞き流すだけ」とか「3つの単語で」とか、短時間で英語が学べることを提唱する方式はたくさんありますよね。そうした学習法を比較検討して、もっとも短時間で学べる方法を確立することです。3000時間が2000時間になるだけでも、ずいぶん負担が減ります。  その前提として「誰が」「何のために」「どのレベルまでの」英語を必要とするのか目標を策定するべきでしょう。
 全ての日本人が世界で商売し、学術的議論をするなら高度な英語力が必要でしょう。しかし東京オリンピックで外国人に道案内するだけなら予想会話を100文も暗記すれば足りるはず。  何も考えず、単純に英語教育の時間を増やすだけでは、日本は標準化のワナに落ちてしまうかもしれません。

2014年7月13日日曜日

子供に英語を習わせるのは、ギャンブルかもしれない

 前回、超早期の英語教育は無効で、少なくとも幼稚園に入ってからではないか、という話を書きました。
 では、私の家では英語教育をしているのかというと…今のところはしていません。  英語を学ばせることに意味があるという確信がもてないのです。


■英語は世界の共通語という現実  世界の共通語は英語。インターネット上も共通語はほぼ英語。
 この現実は、おそらくあと100年位は続くのではないでしょうか。そういう意味では、英語の重要性は今後も変わりません。  英語が読めれば、世界中の文献を読めます。書ければ、日本語の一億二千万人と比べて、十倍以上の人に読んでもらうことができます。会話できれば、世界のあちこちの人と親しくなれます。もちろん国際的な仕事でも有利。  では、何に確信が持てないのか。
 英語を覚えて話す必要があるかどうかが、わからないのです。


■英語は必要だけど…  私がそう考える理由は、自動翻訳の進歩です。
 私の娘が、今8歳。仮に大学まで出て、社会にでるまで、15年弱。  コンピュータには「ムーアの法則」と言われる法則があります。部品の集積度が、一年半で二倍になるという法則ですが、コンピュータの処理能力も、ほぼこれに連動して向上してきています。15年あれば、2の10乗、つまり1024倍。  実際、15年前のコンピュータの状況を考えてみると、インターネットはまだ電話回線でつながっていて、WEBには動画が無く、携帯電話はようやく一般に普及し始めたばかりでした。
 処理能力と、記憶容量の大きさは、今と比べると隔世の感があります。  今のところの翻訳ソフトは、逐語訳に毛が生えた程度。翻訳者が、辞書をひく手間を省くために使っているのが現状です。
 しかし、その翻訳ソフトがこれから15年でどこまで発展するか。もし会話をリアルタイムで翻訳できたり、楽に読める程度の文書翻訳ができるようになっていたら、英語が話せるスキルの価値はどうなるでしょうか?  中途半場に話せる程度の能力なら、あってもなくても同じになるでしょう。しかも機械の進歩とともに価値は下がってゆくはず。

 もちろん完全にネイティブ並に話せる人の存在価値は変わりません。他の分野と同様、極めた人にだけ価値があります(ただし、英語が話せるだけの人は英語国家にいくらでもいるので、英語と同時に高度な日本語能力を身に付けていることが前提)。


■3000時間を何に使うか  英語は、できる方がいいに決まっています。
 機械を通して会話するより、直接会話の方が親しくなれますし、誤解も少ない。機械では伝わらない微妙なニュアンスもあるでしょう。文章だって、翻訳機に頼らないで読める方が効率がいい。  でも、そうしたメリットは英語を学ぶコストと引き換えです。
 日本人がネイティブ並みに英語を使えるようになるためには、約3000時間が必要だと言われています。これは毎週4時間の勉強を15年、夏休みも冬休みもなく続けて、ようやく達成できる時間です(ちなみに現在の、中学、高校、大学の英語の授業を全部合わせても、約500時間とのこと。日本人が英語が苦手なのは、単に練習量が足りないという説もあります)。  3000時間を英語に使えば、どこかでその3000時間が減ります。読書が減るかもしれない。体を動かすことが減るかもしれない。経営やプログラミングを学ぶ時間が減るかもしれない…。

 それなら、英語は機械の発達に期待し、その時間で別の知識やスキルを身に付けるほうがいい、という考え方もできます。将来、日本でずっと暮らすなら、英語を後回しにする方が得。

 一方、将来海外で生活するなら、英語が話せる能力は必要だから、英語を学ぶ方がいい。
 つまるところ、コストと得られるものを比較して、どちらをとるかのギャンブルです。  私は今のところ、無理に英語を習わせるほどの決心がついていません無理に押し付けて、英語に拒否反応を持ったら元も子もない、という理由もありますが…)。

 子供には、きっかけになるように面白半分の英語ゲームは与えていますが、それほどノッていない様子当分は、興味をもつまで放っておき、本人が好きな読書や工作に時間を使わせるつもりです。
 英語学習に関しては、日本の将来に関わるもっと大きな問題があります。それについては次回。

2014年7月9日水曜日

英語の超早期教育は有効か

 前回、脳の発達が三歳までというのは迷信で、知識を入れるのを急ぐ必要はないという話をしました。


 それでも急いで教えたくなるもののひとつに、英語がありますね。とくに日本人は成長するとLとR、BとVの発音がわからなくなるので、幼いうちにCDやDVDで教育しようとしたりするものですが…。


 ここで、ショッキングなお知らせがあります。
 幼児は、CD、DVDでは言葉を覚えないのです。


■言葉は、聞いても覚えない
 「間違いだらけの子育て」という本があります。いろんな子育ての方法論が、どんな結果を生むか、実験と統計を中心に書いた、面白い本です。その中に、幼児がどのように言葉を覚えるのか検証した結果がありました。


 以前は、たくさんの言葉を聞いた子供のほうが、早く言葉を覚えると考えられていました。親がたくさんの言葉を知っているとか、たくさん話しかけているとかですね。
 ところが実際に調べてみると、聞いた言葉の数で決まるにしてはおかしい部分が沢山出てくるのです。


 例えばテレビを長く見ている子供。たくさんの言葉を聞いているのですが、言葉の発達は遅れがち。
 また第一子と、第二子以降では、あとに生まれた子供のほうが、家の中での会話が増えているので、たくさんの言葉を聞いているはず。ところが大抵の場合、言葉を覚えるのが早いのは、第一子です。


 では、何が言葉の発達に関わっているのか。
 実験の結果わかったのは、子供の出した声に、周囲が反応しているかどうかでした。


■言葉を覚える前に、会話している
 赤ちゃんが「クー」とか、「アー」とか、まだ言葉とも言えないような声を出すことがあります。この声が出た時に、親が返事をしたり、抱き上げたりする回数が多いほど、言葉を覚えるのが早かったそうです。


 赤ちゃんは自分の出した声に反応がもらえたことで、声に意味があると理解し、さらに声を出します。
 親は「アー」という単純な音よりも、「マンマ」のような言葉に近い音に、より強く反応しますよね。すると赤ちゃんも、より反応がもらえる、言葉に近い音を出すようにシフトしていきます。こうして、親と子の会話(?)を通じて、赤ちゃんは言葉を覚えていくのです。

 テレビやCDは、赤ちゃんがどんな声を出そうが、反応しません。赤ちゃんの行動と関係なく流れている音は、ただの雑音として認識されてしまいます。覚えようという動機が起きないので、言葉として覚えない、という論旨でした。

■では、英語を学ぶには?
 この本にあるのと同じ内容の実験を、NHKで見たことがあります。幼児の前で外国語の授業を行ったケースと、それを録画したものをテレビで見せたケース。
 目の前で行われた授業では単語を覚えたのに対し、テレビでは全く(驚くほど全く)、記憶していませんでした。
 テレビ、DVDでは言葉を覚えないという説は、確かなようです。

 さて。
 英語圏の子供たちが英語の発音を覚えるのは、英語っぽい音を出した時に反応を返してもらえるからです。英語の発音に反応できない日本人では、早期の英語教育は無理、ということになるのかも。
 もちろん、ネイティブの人に本格的にかまってもらえば、不可能ではないでしょうが…。


 日本人の子供が英語を学べるのは、ある程度大きくなって「これは英語という言葉だ、聞きなれないけれども、意味のある音なんだ」ということが理解できてからでしょう。早くても、幼稚園児くらいからでしょうか。

 そのためにはまず、理解するだけの日本語を覚えてから、ということになりそうですね。



2014年7月5日土曜日

「脳は三歳までに作られる」は、間違い

「人間の脳は、三歳までに90%作られる」
 という話を聞いたことはありませんか?
 だから、三歳までに多くのことを教えるのがいい、というのが、いわゆる超早期教育の考え方です。


 実はこの説、数十年前の古い学説です。
 たしかに、脳細胞のつながりが活発なのは、三歳頃までです。昔は脳の回路がつながれば「完成」だと考えられていたので、この時期に脳が完成すると言われていたのです。

 しかし現代では「神経回路がつながる = 脳の完成」ではないことがわかってきました。つながりの数よりも、いかに整理するかの方が重要だということになっています。


■神経を道に例えると
 脳の回路は、つながった当初は、細くて不安定です。
 例えるなら、野生動物が通った、獣道のようなもの。人間が一人歩くのがやっとで、車などはとても通れません。しかも、獣道は適当にできあがるので、あっちにもこっちにもごちゃごちゃ通っていて、迷いやすい状態です。

 そこで、道を整理し、効率化します。
 通りやすく、距離が近く、便利な町と町を結ぶ道を中心に整備すれば、獣道とは比べ物にならない速さで、大量のものが運べるようになりますね。

 神経の回路も獣道と同じで、使う神経を強化、使わない回路を廃止して、効率的な神経回路が作られます。さらに神経細胞がミエリン鞘というものに覆われて高速道路にまで発展。
 この選別と強化によって、脳が完成すると考えるのが、現代脳科学。

 たしかに、神経のつながり数は、大人よりも三歳の子供の方が多いです。しかし、無駄なつながりの多い子供の脳よりも、整理された大人の脳の方がはるかに高性能です。

 脳の本格的な成長は、三歳で終わったりしません。脳の柔らかさが必要と言われる英語の発音、絶対音感などにしても、臨界期は十歳くらい。

 また、脳の発達は全体が同時に進むわけではなく「古い脳」から「新しい脳」へと向かいます。人格の脳として有名な前頭葉は、十代から二十代で盛んに発達することがわかっています。


■急ぐよりも大事なこと
 そう考えると、三歳までにいろんな知識を詰め込む必要はない事がわかります。

 発達は古い脳から新しい脳へと向かいますので、急ぐあまり机に座らせて勉強させていると、その時期に発達すべき脳を育てそこねるモンテッソーリ教育で言えば、敏感期を逃してしまう)可能性も。むしろ、三歳までは古い脳をしっかり育てておくほうがいいのです。

 不要な先取りをするよりも、その時期に必要なことを、しっかり押さえておきたいものです。