リンクユニット上




2014年6月27日金曜日

「夫婦関係は育児初期に決まる」という驚きの調査結果

 「個性はどう育つか」(菅原ますみ 大修館書店)という本を読みました。中心テーマである個性については

・子供には生まれつきの個性があり、環境と双方向的に関わって、最終的な個性を作る。
・子供の個性をプラスに捉えるか、マイナスに捉えるかで親の対応が変わり、最終的な個性に影響する。
・虐待などの暴力は、明らかに社会適応性を悪くする。

 といった結論でしたね。

 この結論自体も興味深いのですが、個人的に面白いと感じたのは、最終章。


■夫が協力的だと夫婦関係良好?
 子供の安定には、夫婦関係の安定が必要だと調査を示したあとで、夫婦の愛情が年月とともにどのように変化するか、調査をしたのです。その結果、

・夫から妻への愛情は、中年までじわじわ上がり、その後、下がらない。
妻から夫への愛情は、中年以降、急降下する。

 ショッキングなデータがでましたねー。CMの「亭主元気で留守がいい」そのまんまです。中年過ぎて、濡れ落ち葉と言われる男の姿が見えるような恐ろしい結果。  では、何がその急降下に影響するか。  12年に渡る追跡調査の結論は「出産から育児の初期、夫が妻に協力していたかどうか」でした。
 この時期、協力と会話が多かった場合、妻から夫への愛情は上昇し、しかも下がりません。協力も会話も少なかった夫の評価はここから下がり、それっきり戻りません。
 まさにこの数年が、夫婦仲の分け目だったという話。

 この話を読んだ時「危ない橋を渡ってきたなあ」と思いましたね。

 言われてみれば、うちのヨメは「最初の三ヶ月くらい、記憶が無い」と言ってました。それだけ体力的に負担があったのでしょう。

 私はたまたま育児が趣味になってしまったので、ギリギリ危ないところを踏みとどまったようですね。

 無事にやってます。今のとこ。

2014年6月21日土曜日

怒らない指導「鍵穴方式」

 子供が生まれた時、これだけはやるまいと決めたことが3つありました。
「怒鳴らない、叩かない、侮辱しない」
 叩くことは論外としても、怒鳴ることや侮辱することが、良い方法だとは思えなかったからです。

 親としては大声で怒鳴ったり、罵ったりすると、子供をきちんと指導しているような充実感があります。しかし、子供の行動を望ましい方向に修正できているでしょうか?

  最初のうちこそ、親の剣幕に驚いて、言うことを聞くでしょう。しかし、すぐに慣れてしまいます。
「親の小言と敵の矢は、頭を下げてやり過ごせ」
 という言葉があるように、親が激高しているときほど子供は冷静になり、ただ聞き流しているものです。 

 怒鳴らず、怒らず指導する方法はいろいろあると思いますが、一つの例として、ウチで使っている方法を紹介します。

 例えば我が家では、子供が
「水」
 と言っても、水を出しません。
「水をください、って言って」
 と訂正が入ります。それでも言わない時は、
「水をください、って言わないと汲みません。言うのが嫌なら、自分で汲んで」
 と宣言します。
 子供を叱ることはありません。しかし宣言した通り、言うまでは汲みません。

 子供が親の話を聞かないで、自分の話だけしようとするときも、
「こちらの話を最後まで聞かないと、返事をしません」
 と、宣言します。怒らず、ただ宣言した通りに振る舞うだけ。

 これは交換条件ではありません。
 物事をストップさせて、必要な行動をとった時にだけ解除する、停止・解除条件です。決まった行動(鍵)でしか解除できないところから、我が家では「鍵穴方式」と言っています。

 鍵穴方式の長所は、子供に選択の余地があること。親の話に納得できなければ、従わなくてもいいのです。そのかわり、自分で水を汲んだり、話を聞いてもらうことを諦めなくてはなりませんが。
 もっとも、それほど難しい解除条件を出すことはないので、たいていはすぐに納得します。それが何度か繰り返されると、最初から正しい言葉を使うようになり、やがて習慣になって言う必要もなくなります。  「やってのける 意志力を使わずに自分を動かす」(ハイディ・グラント・ハルバーソン著 大和書房)という本にあったのですが、人間のやる気は、選択権の有無に関係しているそうです。何かを自分で選ぶと、やる気が増えるのです。  子供に指示をする場合にも、選択権を持たせることで、反感が減るように感じますね。

 この方法は、礼儀や話し方など、ルール的なことを教えるのに便利です。
 その一方、 ・時間の余裕がない時 ・最初から選択の余地がない場合(暴力はダメ、など) ・うっかりミス(意図的に修正できないので)  には使えません。

 使える条件は限られますが、一度試してみてはいかがでしょうか?

2014年6月17日火曜日

東大合格者の親が「勉強しろ!」と言わなかったワケ④(補足)

 東大合格者の親が「勉強しろ!」と言わなかったワケで、子供が勉強するには、社会的欲求が満たされている、つまり「安心できる居場所がある」ことが必要、という話をしました。その時の書き忘れ。

 安全が必要なら、スパルタ方式はどうなんだ? という疑問が湧くかもしれません。
 後ろからムチで叩くとかしても(表現が古いな!)、成績が上がるじゃないか、と。

 結論から言えば、スパルタ方式でも成績は上がります。
 勉強しないと痛い目にあう、という状況なら、誰でも勉強に向かいますよね。勉強している時間が増えた分は、結果が出るはず。

 ただ、能率が良いか悪いかは、別の問題です。

 人間を含めた生物は、長い生存競争を生き抜いてきました。
 生物にとって、一番の危険は肉食動物に襲われること。そこで危険を感じる状況では、「戦うこと・逃げること」を再優先した身体反応が起こります。

 心臓の鼓動を上げ、筋肉に血液を集中。呼吸を多くし、血糖値を高くして、運動に適した状態に。脳は生存に関わる情報を優先して処理。
 …早い話が、勉強には全く適していません。

 スパルタ方式は、勉強時間を増やすだけと考えるべきでしょう。ふだん全く勉強しない子供なら意味があるかも、という程度。

 スパルタ方式に関しては他にも
・勉強嫌いになって、自分から勉強しなくなる可能性が高い
・親よりも体力がつくと使えないので、小中学校まで

 という特徴があります。
 大学受験までこれで押し切るのは、かなり難しいでしょう。東大合格者にスパルタ式の子がいない(少ない)のは、そんな理由なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 以上は一般的な話。 
 実は、マズローの理論を元にスパルタ方式を考えると、もっと根本的な問題が出てきます。

 マズローの理論では、安全欲求が満たされてから、社会的欲求が生まれてきます。勉強の時だけならまだしも、生活全般にスパルタ式が入り込んで「安全」が無くなってしまうと、社会の一員として暮らすための社会性の発達を邪魔する可能性があります。

 犯罪者の幼児期を調査すると、虐待、ネグレクト、スパルタ教育など、安全性に欠けていた例が多いのは、統計で証明された事実です。

 秋葉原連続殺傷事件の犯人が「風呂で九九を暗唱させられ、間違うと湯の中に沈められた」というスパルタ教育の思い出を語っていたのも有名。
 子供時代の「安全」の重要性は、もっと語られてもいいと思うのです。

2014年6月11日水曜日

親子でライフジャケット(救命胴衣)のすすめ

 今年も、水難事故のニュースが流れる季節になってしまいました。
 小さい子供の事故は、見ているだけで辛いです。助けようとした親も一緒に流された、というニュースならなおのこと。
 浅いから、流れが弱いから安全だと思っていても、ちょっと目を話した隙に、何が起こるかわからないのが川や海。 

■子供にライフジャケット
 わが家ではこの数年、子どもを連れての水遊びには、人数分のライフジャケットを持参しています。魚釣りでも、潮干狩りでも、水に関わるときには必ず持っていきます。

 ライフジャケットは、手足が自由に使えるので、一日中着せておけるのがいいところ。きちんと装着すれば浮き輪と違って外れることがないし、穴があいて、空気が抜けることもありません。

 もちろん絶対安全ということはありませんが、沈んで見失うことがないだけでも、救助の可能性は高くなります。

 子供が小さい間は、普通のライフジャケットよりも浮力体を仕込んだ水着の方がいいかもしれません。ライフジャケットよりも柔らかく、身体にピッタリフィットします。その代わり浮力は弱く、水中に沈んでしまうのを防ぐだけです。顔を水面から出しておくには、浮輪と併用する必要があります。

大人にもライフジャケット
 ところで皆様、泳ぎにはどのくらい自信がお有りでしょうか?
 私はぜんぜんありません。先日、プールで25メートル泳いだらヘロヘロでした。子供が流されても、助けに行ける自信は皆無。
 そんなわけで、子供を水辺に連れて行く時は、私もライフジャケットを着ることにしました。

 ところが。

 使ってみると、面白いのです。
 着たままクロールでも平泳ぎでも出来ますし、浮かんだまま水中を観察したり、のんびり話し込んだりもできます。はっきり言って、水遊びの世界が変わります。
 最初は「念のため」と思って買ったのですが、今や無くてはならない装備になりました。
 親子ともライフジャケット。オススメです。

2014年6月10日火曜日

東大合格者の親が「勉強しろ!」と言わなかったワケ③

 引き続き、マズローの欲求五段階説の話です。

 家庭で社会的欲求が満たされていないと、学力が伸びないと考えられる、もう一つのワケ。それは、まわりに影響されやすくなるということです。  社会的欲求も、人間にとっての自然な欲求ですから、家庭で満たされない場合は、どこかで満たされなければなりません。
多くの学生では家庭か、学校の二択。両方でバランスよく居場所を確保するのが望ましいのですが、家庭で居場所を見つけられなければ、どうしても学校の比重が高くなります。  仲の良い友だちができて、同じ価値観を共有し、楽しく過ごせる場所が出来ていれば、最高です。しかし、そんなケースばかりではないですよね。  社会的欲求は「受け入れられたい」という欲求なので、コミュニティに同化しようとします。まわりがファッションに興味があればファッションに、バイクに興味があれば、バイクに。
 たとえイヤであっても、そこに適応しないと、居場所がなくなってしまう。そんな状況では無理をして合わせるしかありません(LINEをやめたいけどやめられない「LINE疲れ」というのも、そういうことかな?)。  もっと悪い状況、たとえば「万引きしてこいよ!」とか「パシリになれ!」などの不当なことを要求された時でも、そこにしか居場所がないと思えば、
「イヤだ!」
 ということができません。

 だからこそ、家庭が安定した居場所であることが必要なのです。  確実な居場所があることで、子供は自由になれます。自由に友達を選び、自由に目標を決めて頑張ることが出来る。
 東大合格者たちの親が、わかってやっていたのかはわかりませんが、家庭が「ニコニコ」だったのには、心理学的な根拠があったのです。

2014年6月8日日曜日

東大合格者の親が「勉強しろ!」と言わなかったワケ②

 さて、マズローの五段階説から考える「東大生の親は、なぜ勉強しろと言わなかったか」です。
 マズローの説については、前回を参照してもらうとして…。

 この説の特徴は、下の欲求が満たされない限り、上の欲求が生まれてこないということです。
 本能的な欲望が満たされないと、安全への欲望が湧いてこない。安全への欲望が満たされないと、社会的欲求が湧いてこない。
 では、勉強は、どの段階の欲求と関わっているでしょうか?

 勉強というのは、本来は自発的な興味によって行われるものです。これは、欲求五段階の図で言えば最終段階の「自己実現欲求」になります。
 その下の「尊厳欲求」で勉強というのもあります。偉くなるため、いい学校に入るための勉強です。
 自発的な勉強の動機は、おおむねこの2つになるはず。

 この2つの欲求で子供が勉強に向かうには、下にある「社会的欲求」が満たされる必要があります。
 そしてその「社会的欲求」を満たすものこそ、「ニコニコしているお母さん」であり、「勉強しろと言わない親」なのです。

 「ニコニコしている」とは、その子の居場所があること、受け入れられていることを示しています。一時的に叱られても、あとでまたニコニコしているなら、居場所があると感じられるはず。

 また「親業4.5 子供の味方になるために」で書いたように、「勉強しろ」という言葉はそのまま、
「お前は頭が悪い! そのままでいることは許さない」
という言外の意味を含みます。
 ここで「家族として認められるために頑張る」という方法もありますが、繰り返されれば、やがては投げ出してしまうでしょう。

 つまり東大生たちは、家庭に居場所があったために、勉強に集中することが出来たと考えることが出来ます。

 親としては、いかに子供の心の安定をはかるか、ということになるでしょう。

 次回も引き続き、マズローの五段階欲求説です。

2014年6月7日土曜日

東大合格者の親が「勉強しろ!」と言わなかったワケ①

 東大生に子供時代を聞いてみるというアンケートがあったそうです。家庭環境も、経済状況も様々な東大生たちの答えの中で、次の2つの項目だけは全員、マルをつけたとか。 ・「お母さんがいつもニコニコしていた」。
・「勉強しろと言われたことはない」。
わが子を「メシが食える大人」に育てる (ファミリー新書)より)  いくらなんでも全員というのは信じがたいのですが、高い割合を占めたのは確かなのでしょう。
 この2つが高い比率を占める理由として、高濱氏は「親が安定していると、子供の気持ちも安定するから」と解釈しています。
 では、安定がどうして学力を上げるのか…。高濱氏は「安定した子供は、チャレンジする意欲が湧いてくる」としていますが、その説明では物足りない感じがします。
 考えているうち、昔学校で習った「マズローの欲求5段階説」を思い出しました。 ■マズローの欲求五段階説とは?  アメリカの学者、マズローは人間の欲求を5段階に分類しました。ざっくり言うと、下の図のような感じ。
 一番下は本能的な「眠い、食べたい」。一番上は「自己実現の欲求」で、「本能 → 人間的な方向」へと五段階に並んでいます。
 なぜピラミッド型になっているかというと、下の欲求が、上の欲求の基盤になっているから。
 例えば、食べるものが無く、眠れもしない状況では、どうやって生活を安定させようか、などと考える余裕がありません。  同じく、猛獣のいるジャングルで道に迷っている状況で「僕の居場所はどこ?誰か僕の話を聞いてよ」ということはないわけです。
 論語の「衣食足りて礼節を知る」ではありませんが、
「下位の欲求が満たされていると、上位の欲求が湧いてくる余裕ができる」
 と考えられています。  この説が「東大合格者のお母さんは勉強しろ、と言わない」と、どう関わってくるのか。  それは次回に。

2014年6月3日火曜日

「親業」⑥ 勝負なし法の実技

 勝負なし法の最初は、とにかくアイデアをたくさん出すこと。お互いに思いつく限りのアイデアを出し合って、その中から親子両方が納得できる方法を選び出します。


 前回の「お菓子を買う、買わない」でいえば、
①今日は買うが、今後は買わない
②土曜日だけ買う
③買い物について来ない
④100円くらいまで。高くても300円。
 などなど、一方的に都合のいいものから、それなりに妥協したものまで、いくつものアイデアを出します。この中から、両方が納得できる方法を選び出します。(この事例は「すてきなお母さんになる三つの簡単な方法」のp.98から引用。本では、②と④を選んでいました)
 あくまで、両方が納得することが重要。場合によっては、別の交換条件を出すなど、幅広く案を出す必要があるかもしれません。


 アイデアを出すときに注意することは、「なぜ、そうしたいのか」という理由を明確に伝えることです。
「ハーバード流交渉術」(知的生きかた文庫)という本の中に、印象的な話があります。


 二人の姉妹が、一個のオレンジを取り合っていました。どちらも譲らなかったので、しぶしぶ半分ずつで我慢することになりました。
 姉は、オレンジを食べて、その皮を捨てました。
 妹は、オレンジの皮を削って、お菓子の飾りに使いました。


 もし「何のためにオレンジがほしいのか」を二人が話していれば、争う必要もなく、二人ともオレンジまるごとの身と皮を手に入れられたはず。
 一見、対立しているように見えても、本当の目的では対立していない、ということは結構あるものです。


 双方が、相手に勝つことではなく、本当の目的を達成することを追求していけば、親子とも満足できる道を見つけられるはずです。


 …はずです。
 急に自信なさげになりましたが…。
 実は、この三番目の「勝負なし法」については、我が家ではまだあまり使っていないのです。
 年齢(小2)の問題なのか、権利意識が希薄なのか、親が1つか2つ案を出したところで、
「うん、それでいいよー」
 と娘が納得してしまうので、そもそも対立が発生せず…。
 「勝負なし法」を使うのは、あと何年かして、自己主張がもっと強くなる時期なのかもしれません。
付記
 上記の「ハーバード流交渉術」は、対立する目標を明確にすることで、お互いの利益を最大にしようという、リアルな交渉の技術です。「勝負なし法」の元になったのではないかと、個人的には考えています。
 同じような方法は以前に書いた「七つの習慣」にもありますので、交渉の多い欧米では、一般的なのかもしれません。

 グローバルな人材を育てるのに、必須?