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2014年9月20日土曜日

命の教育って、迷いますよね

 先日、娘が
「お父さん、見て見て! 実験!」
 と言って、水の入ったプラスチックボトルを持ってきました。
 よく見ると、直径1センチくらいの気泡があり、何か黒い点が。
「これだけの空気で、アリがどれだけ生きられるか、実験!」
 なるほど、気泡の中にアリが浮いています。
 「かわいそうだから出してやれ」と言いかけたところで、言葉が止まってしまいました。

■都合に合わせて基準が変わる…

 つい数日前、家に入ってくるアリを退治するためにホウ酸砂糖を設置しました。効果てきめんで、庭には大量のアリの死骸が。子供と「すごい効果だなー」と感心したところでした。殺虫剤で大量にアリを殺しておいて、実験はダメという説明が難しい。

 無駄に殺さない、というのが私の信条ではありますが、空気の重要性を調べたいという実験も、意味が無いとは言えません。結局、
「アリに、きちんと感謝するように」
 という、ななめ上の返事をするしかありませんでした。

■学びの機会と、生き物の生命

 生き物の命をどう教えるか、という問題は難しいです。
 例えば、子供がカメや金魚を飼う時。きちんと世話をしないと死んでしまうので、責任感を学ぶ良いチャンスです。

 子供は結果を予測するのが苦手です。世話しないと死ぬよ、と言っても、実際に死ぬのを見るまではその重大性がわかりません。
 本当の意味で責任を学ばせるには、世話を怠って、生き物が死ぬことが必要です(先日書いた日記と同じですね)。そうしてこそ、はじめて責任を負うことの意味がわかります。生き物には、教育のために死んでもらうことになります。

 しかし、死ぬとわかっていて、黙って見ているのは、なかなかできないこと。こちらも情がうつるので、つい口出しして、世話をさせてしまいます。恥ずかしながら、まだ子供が世話をしないために死んだ生き物はいません…。

 この問題は、迷いながらやっていくしかないのかもしれません。

■さて、結果は

 実験のアリですが、24時間たってもまだ生きていました。思った以上に、少ない酸素で生きられるようです。その後、中の空気を完全に抜くと、すぐに動かなくなったとのことでした。
 娘、もう一つ発見。
「お父さん、アリって、死ぬと沈むよ!」

 これも、科学する心の現れということで…。

2014年9月17日水曜日

三年習うより、三年師を探せ、という箴言

 なんであれ、子供の頃から習い事をさせれば、上達すると考えますよね。
 「一万時間の法則」で書いたように、能力は練習時間で決まることが多いので、それなりに根拠が有ります。
 ただ、それがいつもうまくいくわけではない…と、自分自身の体験から思います。

■習うことでかえって嫌いになることも

 私が幼稚園児の頃、習字を習いに行っていました。
 けっこう大きな習字教室だったのですが、先生がちょっとキツイ人。いつも怒られるか嫌味を言われるかだったので嫌になり、小学校二年生でやめてしまいました。ついでに習字も大嫌いになり、
 「字の形にこだわってるのは、心が歪んでるからだ」
 などと、負け惜しみを言っていたほど。

 兄と私がその教室に通ったのですが、二人とも字をきれいに書こうという意欲がないため、すっかり悪筆になってしまいました。
 弟だけは習字教室に行かなかったのですが、その弟が一番字がきれい、という逆転現象が起きてしまいました。

■好きこそものの上手なれ

 思うのですが、ある人にとって良い先生が、別の人にとっても良い先生とはかぎりません。とくに、初心者と上級者では必要な要素が違ってきます。

 上級者の場合は、先生がどれだけ高い技術を持っていて、見せることができるかが問題になります。
 一方、初心者の場合には、それほど高い技術は必要ありません。基本をきっちり教えることができれば、初心者の先生としての技術は十分です。
 むしろ、技術よりも重要なのは、習い事を好きにさせられるかどうかでしょう。

 昔から「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますね。好きなものに対しては、やれと言われなくても自ら努力して、伸びていくもの。
 だからこそ、初心者の指導をする先生は、子供の興味を引き出し、好きにさせることが最優先になります。粗暴だったり、感情の安定が悪い先生はもってのほか。退屈な教え方をする先生も避けたいものです。

 子供に習い事をさせるなら、ただ先生任せにしていてはいけません。
 先生がどんなふうに指導するかを見て、必要なら先生を変えるくらいの覚悟必要です。
 お金と時間を使って嫌いにさせるほど、ムダなことはありませんから。

2014年9月9日火曜日

夏休みの日記を、子供に自己管理させてみた

 日記の宿題。
 子供の学校は夏休み以外でも毎日、日記の宿題があって、それを書かせるのが一苦労です。

 当たり前ですが、子供はそんなもの書きたくありませんから、なんとかギリギリまで逃げたいわけです。しかたなく「日記を終わらせてからテレビ」とか、「日記を終わらせてからマンガ」というように、先行条件にして、書かせていました。

 が、ある日、考えました。

■自分で考えて行動できる人になってほしい
 
 親が急かして書かせても、それは人の指示に従う訓練にしかなりません。自分で自分の行動を決めることはないので、いわば使われる訓練です。
 将来的には、自分でやるべきことを判断して、行動できるようになって欲しい。長い目で見て、親が書かせることはためにならないと判断しました。

 以前に紹介した本「子供の心のコーチング」で、「遅刻するのは子供の問題であって、親の問題ではない。問題を子供に返して、失敗から学ばせる」と書いてあったのを思い出し、妻と相談。
「よし、子供に任せよう!」
 と決めました。自分でやってみて、間に合わなかった体験を繰り返すことで、自分の行動を律することを覚えて欲しかったのです。

 子供に「これからは日記のことは一切言わない」と伝えました。
 それで間に合わなかったら、先生に「すみません、やっていませんでした」と謝りなさい、というところまで約束させました。

■夏休みの途中、やっぱり遅れ始める

 やってみると、急かさなくていいので、親は楽。子供も、言われることがないので上機嫌。家庭内の空気はいい感じです。

 最初の数日は、初めての緊張感もあって、頑張って日記を書いていました。
 それから、書き忘れの日が連続3日間。3日目になって、慌てて始めましたが、慌てたお陰であっという間に終了。
 この、1日で3日分の日記を書いたのが、良くない自信になったようです。
「その気になれば3日分くらい、すぐできるんだ」
 と思ったようで、ダラダラと遅れ始めました。

 妻と、いよいよ溜まり始めたなあ、と顔を見合わせました。
 夏休みの終わりになって、溜まった日記に呆然とするはずです。書いても書いても終わらない体験をして、場合によっては先生に頭を下げることでしょう。そうした失敗を繰り返して、自分から行動を律することを覚えるはず。
 親は我慢!

■夏の終わり。予想外の結末

 本人が再び慌て始めたのは、夏休みも残り一週間になってから。
 日付を見て、溜まっている日記の数を数えたのでしょう。急に涙目になって、
「もう、日記が終わるまで、机の前から離れない」
 などと、突飛な宣言をしたりしました。
 もちろん、そんな決心は続かないわけですが…(笑)

 それでも、頑張ってまとめ書き。少しずつ、少しずつ追いついて、とうとう8月31日の夜7時。
「終わったよ!」
 と得意満面。
 おかしい。こんなはずじゃなかったのに。

 妻が思わず口走りました。
「あー、間にあわせちゃった!」
 思わず私も
「大丈夫、きっとまたチャンスがある!」
 いつの間にか、間に合わないことを期待していた両親。見事な本末転倒ぶりでした。

 これが自分で自分を律する訓練になったのかはわかりません。ただ、問題を子供に返すことで、親がイライラしなくて済んだのは、大きな収穫でした。


2014年9月1日月曜日

ADHDは、本当に育て方と関係がないのか?

 最初に書いておきますが、この記事に書かれたことは私個人の考えであり、現時点で十分な根拠をもつ説ではありません。そのことに注意して読み進めてください。

■ADHDとは?

 ADHDの子供は、落ち着いて座っていたり、注意を持続することが苦手。やっていることを途中で忘れてしまったり、忘れ物が多かったりします。大きな声を出したり、衝動的に歩きまわったりするので、学級崩壊の原因と言われることもあります。日本の場合、子供のだいたい5%がADHDというデータも。

 昔は躾の問題と言われていましたが、今では生まれつき脳の一部が上手く働かない事によるものであると考えられています。

 しかし最近、いろんな本を読んでいて、ADHDはすべて生まれつき、という理論に疑問を感じるようになってきました。生育環境によってADHD、またはその類似症状が生じることがあるのではないか、と思うのです。

■ADHDは、幼児期の環境から?

 生育環境が原因と考えるのは、生育環境と問題行動の関連性を表すデータがあちこちで見られるからです。たとえば

・子供時代の大きなストレスが、行動に影響
 前々回に紹介した「成功する子・失敗する子」に、子供の頃に強いストレスを受けると、問題行動が増えるという調査結果がありました。
 問題行動を起こす子供の割合は、ストレス体験値0の子供で3%。ストレス体験値4以上の子供で52%と、完全な比例関係があります。

・親と子供の愛着関係の不足が行動に影響
 同じく「成功する子・失敗する子」のデータ。
 親が子供の感情を汲み取り、話しかけたり抱っこしたりすることは、ストレスの悪影響を緩和する働きがあります。そのため、親が子供の感情を無視したり、関わらなかった場合にも、問題行動の確率が上がります(前回を御覧ください)。

・ストレスによる脳の損傷
虐待を受けた子供の脳では、ストレスにより脳細胞が破壊されます。とくにダメージが大きいのは一時記憶を司る海馬。被虐待児では、そうでない場合と比べて10%前後小さくなっているそうです。
 現在、海馬の不調がADHDの原因の1つと考える学者がいます。海馬はコンピュータで言うとメモリにあたり、その能力が低いと、記憶能力の減少や行動の不安定を起こすと考えられているのです。

 海馬の他に、感情を司る扁桃体も破壊され、急激な攻撃性や、うつ状態などの原因となるという説もあります。

■モンテッソーリ教育からは

 モンテッソーリ教育では、敏感期に十分な集中ができなかった場合には、落ち着きが無い、乱暴であるなどの逸脱発達が起こるとしています。

 以前も書いたように、手を使う作業に集中することは、脳の自制心を司る部分を訓練すると考えられます。
 親の過干渉で自らの課題に集中できなかったり、作業をする環境が無かったりすると、その機会を得られず、問題行動を起こしやすくなるのです。

 虐待やストレスの場合と違うのは、脳細胞が破壊されるのではなく、発育の機会が不足していること。そこで、手を使う作業に集中する機会を持つことで「正常化」、つまり回復させることができるというのが、モンテッソーリ教育の考え方です。

■もちろん育て方と関係のないADHDもある。しかし…

 ADHDは脳の機能の問題なので、しつけが足りないとか、甘やかしによって発症するというのは明らかな間違いです。また、生まれつきADHDの人もいるでしょう。それは間違いありません。

 しかし、育つ過程で脳が傷つけられたり、必要な発達ができないことがある以上、環境によっても発症する可能性を考えるのが自然ではないでしょうか。全て生まれつきの問題で、育ちに関係ないというのは、かえって不自然です。

 もし未発達による問題行動なら、集中出来る環境を作れば改善する可能性があります。また、萎縮した海馬も、安定した環境で生活していれば、細胞の新生を助けることがわかってきています。
 回復の可能性があるのに、すべてを生まれつきのせいにしてしまうのは、かえってチャンスを奪うとも思われます。
 今後、生育歴や脳の働きなど、さらなる調査が必要だと思います。