佐世保の事件についての論評が、一段落してきました。
「何が原因なのか」という問は、いつものように繰り返されました。おそらくこれまでの事件と同じように、結論を出さないまま終わるだろうと思われます。
■少女が「できすぎた」わけ
私がこの事件で気になったことは、犯人の少女が「できすぎた」ことでした。
成績は常にトップクラス、スポーツでは国体に出場、美術のコンクールにも入賞する。すごい万能ぶりです。
こんな多岐にわたる能力を発揮するには、相当な時間と努力が必要なことは、誰が考えてもわかります(「一万時間の法則」参照)。
おそらく、幼児期からの熱心な習い事や塾通いの結果なのでしょう。事件報道にも、子供の頃から毎日のように習い事に行っていた、という証言がありました。
小学校のとき起こした事件は、クラスメートに「勉強ばかりするのはわからん」と言われたことがきっかけでした。勉強にも時間と努力を費やしていたことが見て取れます。 この事件では「テストの点が全てだ」という発言もあったといいますから、高い成績を出すことを求められていたと考えられます。 朝起きて学校にいく。帰ってきてすぐに習い事。戻って勉強。 休む暇もない生活にあったのは、一部の報道にあったような「溺愛」ではなく、期待を押し付け続ける親の姿ではなかったでしょうか。 ■「抑圧された感情は、いつか必ず爆発する」 凶悪事件加害者の生育歴をみていると、いくつかのパターンがあることに気がつきます。虐待やネグレクト、暴力と並んで目立つのが、息をつく暇もなく、しつけや教育を受けてきたケース。 指示や命令に抑えられ続け、溜め込まれた攻撃性が、何かのきっかけで吹き出すのです。 心理学では、抑圧された感情はいつか必ず爆発すると言われています。 小学生の時に小動物などに攻撃性を向けているところから、そのころにはすでに、負の感情が十分に溜まっていたと想像できます。 たしかに、少女にはもともと何らかの素質があったのかもしれません。しかし、もっと余裕のある生活なら、ここまで危険な圧力が高まることはなかったのではないでしょうか。 ■子供の時間は無限ではない 当たり前ですが、子供の時間は有限です。何かに時間を使うということは、何かの時間を失ったということ。 例えば小さい頃からピアノの練習をさせれば、ピアノが弾けるようになるでしょう。しかし、その練習時間分、何かの時間が減っているのです。 その時間は睡眠時間だったかもしれませんし、家族との触れ合いの時間だったかもしれません。心が育つために必要な、遊びの時間だったかもしれません。 ピアノが弾けるという結果は目に見えてわかるのですが、代わりに何を失ったかは見えません。見えないものは、見えるものよりも軽く見られがちです。 昔、消化できないから要らないものと思われていた食物繊維。今、メタボを防ぎ、腸の健康を守る成分として、その重要性を否定する人はいません。
子供の時間も同じです。大人から見て「役に立つ」ものだけをさせ、無駄を排除しすぎると、思わぬ弊害が待っている。 そんなことを考えさせられた事件でした。
小学校のとき起こした事件は、クラスメートに「勉強ばかりするのはわからん」と言われたことがきっかけでした。勉強にも時間と努力を費やしていたことが見て取れます。 この事件では「テストの点が全てだ」という発言もあったといいますから、高い成績を出すことを求められていたと考えられます。 朝起きて学校にいく。帰ってきてすぐに習い事。戻って勉強。 休む暇もない生活にあったのは、一部の報道にあったような「溺愛」ではなく、期待を押し付け続ける親の姿ではなかったでしょうか。 ■「抑圧された感情は、いつか必ず爆発する」 凶悪事件加害者の生育歴をみていると、いくつかのパターンがあることに気がつきます。虐待やネグレクト、暴力と並んで目立つのが、息をつく暇もなく、しつけや教育を受けてきたケース。 指示や命令に抑えられ続け、溜め込まれた攻撃性が、何かのきっかけで吹き出すのです。 心理学では、抑圧された感情はいつか必ず爆発すると言われています。 小学生の時に小動物などに攻撃性を向けているところから、そのころにはすでに、負の感情が十分に溜まっていたと想像できます。 たしかに、少女にはもともと何らかの素質があったのかもしれません。しかし、もっと余裕のある生活なら、ここまで危険な圧力が高まることはなかったのではないでしょうか。 ■子供の時間は無限ではない 当たり前ですが、子供の時間は有限です。何かに時間を使うということは、何かの時間を失ったということ。 例えば小さい頃からピアノの練習をさせれば、ピアノが弾けるようになるでしょう。しかし、その練習時間分、何かの時間が減っているのです。 その時間は睡眠時間だったかもしれませんし、家族との触れ合いの時間だったかもしれません。心が育つために必要な、遊びの時間だったかもしれません。 ピアノが弾けるという結果は目に見えてわかるのですが、代わりに何を失ったかは見えません。見えないものは、見えるものよりも軽く見られがちです。 昔、消化できないから要らないものと思われていた食物繊維。今、メタボを防ぎ、腸の健康を守る成分として、その重要性を否定する人はいません。
子供の時間も同じです。大人から見て「役に立つ」ものだけをさせ、無駄を排除しすぎると、思わぬ弊害が待っている。 そんなことを考えさせられた事件でした。
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