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2014年8月17日日曜日

佐世保の高一殺害事件 … モンテッソーリ教育「正常化」の視点から

 前回、佐世保の高一殺害事件について「習い事や勉強で隙間のない生活が、少女を歪めたのではないか」と書きました。その後で、これをモンテッソーリ教育の観点から見ることもできそうだなあ、と気づいたので、補足します。

 モンテッソーリは、こんな言葉を残しています。
「幼いころに心を踏みにじられた人は、大きくなってから必ず復讐します」
 それでは、モンテッソーリのいう心を踏みにじる好意とは何なのでしょうか。

■モンテッソーリの人間観

 このブログで何度も書いてきましたが、モンテッソーリは子供の問題のほとんど全てが、逸脱発達によるものと言っています。乱暴も、落ち着きが無いのも、気が弱いのも、すべては「本来あるべき姿を発揮できないことによる」と。

 人格は手によって作られます。したがって、問題行動をする子供も、手を使う作業に集中することで逸脱が鎮められ、正常化するというのが、モンテッソーリの考えです。
 脳科学的には、集中して試行錯誤することで、意思や自制心を司る前頭前皮質、眼窩前頭皮質が鍛えられるのだと思われます。(「モンテッソーリの言う正常化を脳から考えてみる」)。

 正常化への集中は、

①子供が自分で選んだことに自由に取りかかること
②やり始めたことに続けて取り組むこと
③そのことに全力を傾けること(集中現象)
④以上の過程を通って、満足した表情で自分からやめること

という過程をたどります。
しかしこの過程、親が干渉し過ぎると、うまく辿れないことが多いのです。

■つい親がやってしまう、過干渉

① 親は、計算とかピアノとか「意味のある行動」をさせたいので、「あれをしなさい、これをしなさい」と言いがち。子供が自分で選ぶ機会を奪ってしまうことがあります。

② 子供は満足するまで繰り返し、やりきったと感じたいのに、親はどんどん新しいことをさせようとします。「いつまで同じことをやってるの」と、急かすと、満足するまで繰り返せません。

③子供は全力を傾けて集中したいのに、一挙手一投足を指示したり、うまいとか下手とか評価すると、じっくり集中できません。

 おそらくは、習い事でぎっしりの生活から生まれた今回の事件。
 モンテッソーリの視点からは、正常化の機会を失った未熟な人格が原因になった可能性を指摘できそうです。
 速く成長させたいという親の本能が、子供の成長を妨げるのは、皮肉なことですが…。

■成長のための時間を

 習い事は、子供にとって新しい世界を開くもの。人生を変えるような出会いがあるかもしれません。しかしあまりにも時間を使いすぎると、正常な発達をするための機会を奪ってしまう可能性があります。つめ込まれ、指図され続ける環境では、意志も自制心も育たないのです。
 とくに、敏感期の影響力が強い6歳くらいまでは注意すべきでしょう。

 子供の成長には、教えられる時間だけではなく、自分で自分を育てる時間が必要です。
 常に親の目が行き届くところにいる現代の子供には、意図的に集中の時間を持たせてやる必要がありそうです。

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