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2014年7月16日水曜日

英語が世界標準であることの意味

 古い話ならVHSとベータのビデオ戦争。もう少し近づいて、ブルーレイディスク。最近なら、EV車の規格まで、電化製品の歴史は、世界標準の争奪戦です。
 多くの会社が標準化で争うのは、自社の製品規格が世界で通用するようになれば、その後の商売で圧倒的優位に立てるから。規格を制するものは世界を制するのです。  そして今、言葉では英語が世界標準。この意味、わかりますね?


■欧米に有利な世界標準  残念ながら論者を失念したのですが、新聞上で「インターネットは国の格差を固定する」という意見を読んだことがあります。その概略。 「インターネットの公用語は英語なので、英語圏、とくにアメリカの青少年は、専門分野だけ勉強していれば世界に通用する。
 ところが非英語圏の人間は、専門分野と英語の両方を身につけなければならない。学問をする時間が有限である以上、莫大な時間を英語の学習に費やさなければならないのは大きなハンデである。アジア、アフリカ圏の青少年は不利な状況におかれている…」  英語を学ぶのに必要な時間は、文法や発音が英語とどのくらい近いかという理由で決まります。ドイツ語、イタリア語などヨーロッパ圏の人なら、だいたい1000時間でOK。
 日本語は英語から最も遠い言語の一つに分類され、前回書いたとおり、3000時間が必要とされています。  一口に3000時間と言いましたが、これは四年制大学の全授業時間に匹敵します。単純に考えれば、日本人が英語を学び、大学レベルの勉強を終える頃、英語圏の人たちは大学院と博士課程を終えていることに。
 もしネイティブ並みの英語を義務化したら、日本が学問の世界で遅れをとる可能性は極めて高いでしょう。  といって、英語によるコミュニケーションを諦めたら、商売や政治、文化交流で遅れを取る可能性が高い。
 どっちにしても不利である以上、英語の学び方を考える必要があります。


■日本人はどうすればいい?  「一流の人は、両方できてるよ」という声もあるでしょう。しかし、その人達も英語にたくさんの時間を使ってきたはずで、英語がなければ、もっと専門の研究を進めていたかもしれません。  そう考えると「グローバル化!」といってむやみに英語の授業を増やすのは、わざわざハンデを背負いにいくようなもの。日本が今後も発展してゆくには、英語教育の負担を減らすことを考えないといけません。
 実際にできそうな方法は3つあります。  1つ目はネイティブ並みの英語と高度な日本語を操る通訳を、大量に育成する。必要なとき、すぐに頼れるくらいにたくさんいるといいですね。  2つ目に、前回書いたような翻訳機を早く開発し、一般化すること。積極的に予算を割けば、発展を早めることもできそうです。  3つ目は、英語を少しでも簡単に学べるようにすること。
 「聞き流すだけ」とか「3つの単語で」とか、短時間で英語が学べることを提唱する方式はたくさんありますよね。そうした学習法を比較検討して、もっとも短時間で学べる方法を確立することです。3000時間が2000時間になるだけでも、ずいぶん負担が減ります。  その前提として「誰が」「何のために」「どのレベルまでの」英語を必要とするのか目標を策定するべきでしょう。
 全ての日本人が世界で商売し、学術的議論をするなら高度な英語力が必要でしょう。しかし東京オリンピックで外国人に道案内するだけなら予想会話を100文も暗記すれば足りるはず。  何も考えず、単純に英語教育の時間を増やすだけでは、日本は標準化のワナに落ちてしまうかもしれません。

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