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2014年6月8日日曜日

東大合格者の親が「勉強しろ!」と言わなかったワケ②

 さて、マズローの五段階説から考える「東大生の親は、なぜ勉強しろと言わなかったか」です。
 マズローの説については、前回を参照してもらうとして…。

 この説の特徴は、下の欲求が満たされない限り、上の欲求が生まれてこないということです。
 本能的な欲望が満たされないと、安全への欲望が湧いてこない。安全への欲望が満たされないと、社会的欲求が湧いてこない。
 では、勉強は、どの段階の欲求と関わっているでしょうか?

 勉強というのは、本来は自発的な興味によって行われるものです。これは、欲求五段階の図で言えば最終段階の「自己実現欲求」になります。
 その下の「尊厳欲求」で勉強というのもあります。偉くなるため、いい学校に入るための勉強です。
 自発的な勉強の動機は、おおむねこの2つになるはず。

 この2つの欲求で子供が勉強に向かうには、下にある「社会的欲求」が満たされる必要があります。
 そしてその「社会的欲求」を満たすものこそ、「ニコニコしているお母さん」であり、「勉強しろと言わない親」なのです。

 「ニコニコしている」とは、その子の居場所があること、受け入れられていることを示しています。一時的に叱られても、あとでまたニコニコしているなら、居場所があると感じられるはず。

 また「親業4.5 子供の味方になるために」で書いたように、「勉強しろ」という言葉はそのまま、
「お前は頭が悪い! そのままでいることは許さない」
という言外の意味を含みます。
 ここで「家族として認められるために頑張る」という方法もありますが、繰り返されれば、やがては投げ出してしまうでしょう。

 つまり東大生たちは、家庭に居場所があったために、勉強に集中することが出来たと考えることが出来ます。

 親としては、いかに子供の心の安定をはかるか、ということになるでしょう。

 次回も引き続き、マズローの五段階欲求説です。

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