さて、マズローの五段階説から考える「東大生の親は、なぜ勉強しろと言わなかったか」です。
本能的な欲望が満たされないと、安全への欲望が湧いてこない。安全への欲望が満たされないと、社会的欲求が湧いてこない。
では、勉強は、どの段階の欲求と関わっているでしょうか?
勉強というのは、本来は自発的な興味によって行われるものです。これは、欲求五段階の図で言えば最終段階の「自己実現欲求」になります。
では、勉強は、どの段階の欲求と関わっているでしょうか?
勉強というのは、本来は自発的な興味によって行われるものです。これは、欲求五段階の図で言えば最終段階の「自己実現欲求」になります。
その下の「尊厳欲求」で勉強というのもあります。偉くなるため、いい学校に入るための勉強です。
自発的な勉強の動機は、おおむねこの2つになるはず。
この2つの欲求で子供が勉強に向かうには、下にある「社会的欲求」が満たされる必要があります。
この2つの欲求で子供が勉強に向かうには、下にある「社会的欲求」が満たされる必要があります。
そしてその「社会的欲求」を満たすものこそ、「ニコニコしているお母さん」であり、「勉強しろと言わない親」なのです。
「ニコニコしている」とは、その子の居場所があること、受け入れられていることを示しています。一時的に叱られても、あとでまたニコニコしているなら、居場所があると感じられるはず。
また「親業4.5 子供の味方になるために」で書いたように、「勉強しろ」という言葉はそのまま、
「ニコニコしている」とは、その子の居場所があること、受け入れられていることを示しています。一時的に叱られても、あとでまたニコニコしているなら、居場所があると感じられるはず。
また「親業4.5 子供の味方になるために」で書いたように、「勉強しろ」という言葉はそのまま、
「お前は頭が悪い! そのままでいることは許さない」
という言外の意味を含みます。
ここで「家族として認められるために頑張る」という方法もありますが、繰り返されれば、やがては投げ出してしまうでしょう。
つまり東大生たちは、家庭に居場所があったために、勉強に集中することが出来たと考えることが出来ます。
親としては、いかに子供の心の安定をはかるか、ということになるでしょう。
次回も引き続き、マズローの五段階欲求説です。
つまり東大生たちは、家庭に居場所があったために、勉強に集中することが出来たと考えることが出来ます。
親としては、いかに子供の心の安定をはかるか、ということになるでしょう。
次回も引き続き、マズローの五段階欲求説です。
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